旧パラを検証する130
第十号 百人一局集 21
第九十六番
東京都目黒区上目黒七ノ一〇〇八 渡邊東一方
十八才
奨励会棋士 三段
二上 達也氏作

22銀、同銀、同歩成、同金、A32銀、同金、B42銀、イ同金左、32角成、ロ同金、41金、22玉、13銀、同桂、同歩成、21玉、12と、同香、同香成、同玉、24桂、22玉、32桂成、同玉、33金、21玉、25香、ハ24歩、同香、23金、32金、同玉、23飛成、41玉、52桂成、同玉、62金、同馬、同歩成、同玉、51角、71玉、62金、ニ81玉、72金、同玉、73角成、81玉、82歩、91玉、92歩、同玉、83馬、91玉、21龍迄五十五手
イ同金右は32角成で本手順より金を一枚余計に持つことになり簡単
イ同馬なら32角成、同馬、22銀、同玉、13金、31玉、22金打、同馬、同金、同玉、13歩成、31玉、(同桂なら同香成、同香、34桂、31玉、22角、21玉、11角成、32玉、33馬、21玉、22桂成迄)22角、32玉、23飛成、42玉、31角成、51玉、52桂成、同玉、62金迄
ロ同玉は23銀、31玉、22金、41玉、32金、51玉、52桂成、同玉、53飛成、同玉、54金、52玉、34角以下早詰
ハ23金なら32金、同玉、23飛成、41玉、52桂成、同玉、53龍、同玉、54金、52玉、(42玉は53角、33玉、23金、34玉、24金で詰み)53金打、41玉、23角、31玉、32角成、同玉、43金上、31玉、42金迄47手駒余らず
ニ82玉でも良い非限定
☆古関三雄君と親交を得てから彼に刺激され詰将棋を作るようになりました。当時の私の棋力は十二級程度でした。
★ 守備駒を解して13歩成か13に駒を打込んで詰ますという想像は付くので、22銀からばらすことになる。急所はA32銀〜B42銀の順で、32銀、同金の局面では41角は41金と打てない邪魔駒になっているのです。だからといってBで32角成は同玉23銀、43玉、34金、42玉で詰みません。この42玉とさせない為に、B42銀として42を埋める必要があるのです。わざわざ42に金を誘致してから32角成が序盤の見せ場です。ちなみにA42銀〜32銀の手順前後は全て同馬と取られて詰まないのも芸が細かいところです。戻ってロで同玉、23銀、に43玉は34金ですが、42に金を誘致したので、今度は31玉という変化が生じるのも解答を困難にしています。イロの変化を乗り越えて13手目13銀と打込んで、やっと筋入った感じです。27手目25香の局面が最後のハイライトで単に22金を防ぐ23金合は変化ハの順で奇麗に詰む。この変化中54金に42玉、53角、33玉で逃げ出せるように24歩と中合をするのは本当に巧みな応手で、ウッカリ見落としてしまうところです。)以下ハの変化手順と同様に進み、37手目62金と変化に出て、51角捨ての最後の好手を経て91で詰上がります。
55手の力作で、初期の二上先生の代表作の一つだと思います。
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第九十七番
横浜市鶴見区上末吉町五九 第三青年寮
工員 二十四才
棋段級 なし
相馬 夢龍氏作

66銀、同成香、54龍、同玉、65角、63玉、74角、72玉、92飛、61玉、51歩成、同玉、41成香、61玉、83角成、72銀、同馬、同歩、91飛成、71角、51成香、同玉、71龍、61香、63桂、52玉、43香成、同玉、A44歩、同玉、45銀、35玉、44角、24玉、14馬、同玉、25金、23玉、33角成、同金、同銀成、同玉、34銀、42玉、43金、31玉、61龍、41歩、42金、同玉、43香、31玉、41龍、22玉、23歩、13玉、11龍、12金、14金、同玉、12龍、24玉、25金迄63手
Aで33香成、同金、同銀成、同玉、34歩、同玉、23角、同玉、14馬、同玉、25銀、23玉、24金、32玉、33金打、21玉、61龍、31角、23香、12玉、22香成、同角、23金迄51手迄早詰
☆創作上の好みとしては魂をぬかれる様な攻方の捨駒妙手は勿論であるが、玉方の巧みな防御(合駒の妙)逃げ(攻方の只捨てを取らずに逃げる)にたまらない愛着を感じる。
趣味は将棋を除けば音楽に外国文学。
★5手目65角の焦点の捨駒から入り、以下合駒が沢山出て来る捌きがテーマでしょう。手順的には48手目41歩合の時に42金と打開するのが最後の決め手です。銀・角・香・歩・金の5種合が出るだけでもこの時代では価値があったのだと思います。残念なことにAの手順で早詰でした。
★相馬氏は本名(勇治郎)パズルや舞踊山吹流の舞踊家等多芸な方でした。三百人一局集では初入選が将棋世界昭和19年頃と書かれていましたが、将棋月報昭和18年12月号が初入選と思われます。1943年〜1991年に約50作を主に将棋世界と詰パラに発表されました。手数は7手〜67手で代表作は中・長編作の一風変わった作品でしょう。また、簡単な曲詰の創作を多数されました。作品集に「将棋夢幻」(50作)があります。(手書き青焼きコピー本で版数が5版位あり?決定版がどれなのか良く解りません。)
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第九十八番
兵庫県西宮市今津水波町一七二
学生(医) 二十才
三級
谷向 奇道氏作

25銀、13玉、14銀、同玉、A34龍、24銀、25銀、13玉、24銀、同歩、B14銀、同玉、25金、13玉、24金、12玉、13歩、同桂、同金、同玉、25桂、22玉、24龍、23飛、34桂、21玉、23龍、同金、31と、同玉、42桂成、同玉、C43金、31玉、53角成、同馬、33香、同金、51飛、41歩、同飛成、同玉、
33桂生、51玉、52歩、同馬、同金、同玉、43金、
61玉、62歩、71玉、82角、81玉、91角成、同玉、93香、81玉、92香成、同玉、83歩成、
91玉、82と迄63手
☆詰将棋作家には指将棋の段級は不要であると愚考します。勿論詰将棋に段級位を附する等もつての外。詰将棋が芸術なら作家は芸術家である。芸術家は立派な芸術作品を作ることに使命があるので、段級を附するのには全く大反対であります。
★本作について旧パラ昭和二十六年七月号【「百人一局集」について】に指摘事項があります。以下転記。
☆本作は初手二五銀以下の六十三手詰ですが草柳氏の検討によれば次の如き早詰あり。検
討者は十八氏ですが全問題を全氏に検討願ったのではなく分担してやって頂いている為
粗漏も生じた訳で、所詮人間が神様にあらざる証拠となります。恐ろしきは詰将棋の検討なり。
Aで16龍、15歩、26桂、13玉、15龍、22玉、34桂、33玉、43金、同金直、同歩成、同玉、42桂成、同金、45龍、33玉、34銀、22玉、42龍、32金、同龍、同玉、43金、22玉、33金打、同桂、同金、13玉、23金、14玉、25金迄35手の早詰
★作意は粘りのある合駒入りの捌き作品ですが、Bで25桂、14玉、15歩、同玉、26銀以下の早詰や、Cで43飛、32玉、35香、34歩、同香、同金、23金、31玉、32歩以下早詰等ボロボロでした。
★谷向奇道氏は本名「谷向弘」旧パラ連載の「詰将棋解剖学」で有名になり、約100作程発表されました。
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第九十九番
静岡県駿東郡小山町音淵
音淵区々長 各種糀製造販売業 四十五才
三級或いは五級位
内藤 武雄氏作

59飛、同龍、38金、同玉、27角、39玉、38金、49玉、59馬、同銀成、A39金、同玉、38飛、49玉、58飛、39玉、29金、同玉、59飛、49銀、38銀、39玉、29金、48玉、49飛、57玉、59飛、68玉、58飛、79玉、68銀、88玉、77銀右、99玉、59飛、98玉、89銀、87玉、88銀上、96玉、63角成、95玉、99飛、
84玉、85歩、83玉、75桂、82玉、64馬、73歩、同馬、同玉、93飛成、64玉、53龍、75玉、73龍、85玉、76銀右、94玉、95歩、同玉、86銀、同玉、75龍、96玉、85龍迄67手
Aで47金、38歩、48飛、39玉、38飛、49玉、33飛成迄17手の早詰
☆生涯を詰将棋研究に捧げたい念願。自作集を発行したいのも念願。早く初段になりたい。之亦念願。
★手数は長いですが、妙味の無い作品です。狙いもよく解りませんが、手数が長いこと自体が狙いという時代(将棋月報の作品はそういう傾向があったとしか思えない)から創作を続けて居られる方なので、それが狙いなのかもしれません。
A47金で簡単に早詰でした。
★内藤武雄氏は1941年〜1964年迄約50作の発表があり、手数は7手〜75手、発表誌は将棋月報、旧・新詰将棋パラダイス、詰棋界、近代将棋で力の入った中編を得意とされておられました。又、表と裏の曲詰も多数創作されています。内藤氏の作品で一番有名なのは、将棋月報1942年4月号に発表された「シンガポール陥落・日の丸型」でしょう。この作品は表・裏の日の丸の曲詰で詰将棋史的にも重要な作品と言えるでしょう。
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第百番
京都市伏見区新町十丁目三七九ノ一
高校在学中 十六才
棋段級 なし
松永 真作氏作

34桂、イ同歩、55角、ロ同龍、33銀、同桂、21金、13玉、22銀、24玉、33馬、25玉、37桂、35玉、47桂、46玉、55馬、47玉、46飛、同香、56馬、48玉、49歩、同と、38金、58玉、67馬、69玉、78馬、同玉、79金、87玉、77と、96玉、97歩、95玉、96歩、94玉、95歩、93玉、94歩、82玉、93歩成、ハ同飛、同香成、同玉、83と、同玉、73飛、94玉、A99香、95歩、同香、ニ同玉、93飛成、94歩、96歩、同玉、94龍、95歩、97歩、同玉、95龍、ホ96桂、98歩、同玉、96龍、97飛、同龍、同玉、B89桂、96玉、97飛迄73手
イ13玉は22銀、24玉、35銀、同玉、26銀、同玉、27金、35玉、53角成以下
イ12玉は21馬、13玉、22馬、24玉、35銀、同玉、26銀、同玉、27金、35玉、26銀以下
ロ33桂打は同角成、同桂、21金、12玉、13歩、同玉、22銀、24玉、33銀生、25玉、26銀、同玉、27金、35玉、26銀、46玉、37金以下
ハ81玉は82と、同玉、73と寄、81玉、91香成、同玉、92飛以下
ニ84玉は93飛成、75玉、73龍、74飛、76歩、65玉、74龍、同玉、73飛、65玉、75飛成、54玉、64龍以下
ホ96香は98歩、同玉、96龍、97飛、同龍、同玉、甲87飛、96玉、99香迄73手
A98香〜96香でも良い非限定
B91飛(〜95飛のどこでも)96合、89桂、98玉、96飛成迄75手駒余り
Bで99飛、98合、89桂、96玉、98飛迄75手駒余り
甲で99香、98合、87飛、96玉、98香迄75手駒余りの手順あり。
末尾を飾る作品です。初手は34桂から抉じ開けるしかないのですが、12玉や13玉の変化も読まねばならず良い導入です。3手目は33銀以下が普通ですが、作意と同様に進み33馬に35玉と逃げ、47桂、同龍と取られて詰みません。ここで55角、同龍の交換が入っていれば47桂、46玉、55馬で詰むという寸法です。実戦型で潜伏期間の長い伏線手が入っているのは巧いです。ただ55角は駒取りでは無く捨て駒にはしたかった処です。作意に戻り55角、同龍以下33馬の局面では先の説明のとおり、今度は25玉と逃げます。そして19手目46飛の好手が出ます。これは56馬、37玉、38金、同と、同馬の時に46を塞いでおく意味です。以下は左上部に追い込み飛車を奪います。問題は以下の収束で、ホの合を香合にすると甲の様に乱れます。作意は桂合ですが、それでも、B手順の様に乱れます。この後指摘が無いことから当時は気にならなかったのかもしれませんが、現在では余詰扱いになるのでスッキリしないところです。作品としては実戦型からの長手数で55角や46飛等が入り良いと思いますが、収束は46飛以下を短く中編に纏めるべきだったでしょう。駒も減りますし収束も乱れなく出来たでしょうから。
松永氏は1951年〜1952年に旧パラに5作の発表作があります。手数は13手〜73手ですが、長編は本作だけで後は13手〜19手の手筋物の短編が得意でした。
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これで、長きに渡った第1回旧パラの百人一局集の紹介が終わりました。もう1回総括をして締めたいと思います。

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