旧パラを検証する128
第十号 百人一局集 19
第八十六番
京都市中京区内西の京南聖町七
大橋 虚士(オオハシ キヨシ)氏作

12飛上成、同香、14角、同香、22金、13玉、25桂、同歩、24銀、同玉、36桂、13玉、12金、23玉、22飛成、34玉、24龍、43玉、A44龍、32玉、42龍、23玉、35桂、同銀、22龍、34玉、44銀成、同銀、24龍、43玉、44龍、32玉、24桂、23玉、34銀、24玉、B33銀生、23玉、22銀成迄39手
A44銀成、32玉、21龍、41玉、33桂、51玉、31龍迄25手。
B33銀成の1手で詰んでいる。37手の早詰
14飛の配置から、12飛上成〜14角として14を塞ぐのは見える所です。その後36桂と据えて龍の回転に入るのが意外な展開。龍が1回半回転して詰みとなります。ところが、この作意手順は疑問があり、A44銀成で簡単な早詰みになりますし、なんといってもB33銀成の1手で詰んでしまうのは大いなる疑問点です。この後も指摘が無く疑問が残ります。
大橋虚士氏は1938年5月に将棋日本に初登場し、1938年7月には大橋香月名義で将棋習作三十番を将棋月報に発表されました。戦前〜戦後の1956年頃にかけて、主に将棋月報、旧パラ、風ぐるまに100作程発表されました。手数は7手〜77手。作風は中編の捌き作品が多かったのですが、詰将棋吹き寄せ第42番に龍鋸作品を発表されたり、詰将棋史的にも記憶しておきたい作家の一人です。作品の他にも論考や担当をされたり、詰将棋界にもとても貢献されました。ペンネームは嵯岐俊一、末松一枝(将棋世界)、攪沢康二(世界)、阿木原修三(将棋世界)、嵯岐俊一(将棋日本)、大橋香月(月報)、西川峯夫(月報)等々他諸誌に桂野高飛、香史等多数あったようです。そして盤八十一の名義で1984年〜1986年のパラにも作品を四半世紀振りに発表されて、(盤八十一名義では1960年〜1962年にもパラで発表あり。)オールドファンに懐かしがられたこともあります。
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第八十七番
大阪市住吉区安立町十の四三 我孫子寮内
会社員
里見 義周(サトミ ギシュウ)氏作

42銀生、同歩、36飛、A21玉、12金、同玉、32飛成、13玉、33龍、14玉、34龍、15玉、35龍、25桂、26金、14玉、25金、23玉、24金、22玉、33龍、11玉、23桂、12玉、42龍、22銀、11桂成、同玉、22龍、同玉、23歩、31玉、22銀、41玉、42桂成、同玉、33金、41玉、31銀成、同玉、22歩成、41玉、32と迄43手
不詰
詰棋めいと26号で指摘
Aで35歩、同飛、32香、42桂成、同玉、43歩、同玉、53金、44玉以下不詰
初手36飛だと後に1歩不足するので、42銀生、同歩の交換を入れておくのがミソ。以下の追い方は、岡田秋葭の裸玉追いパターンになる。収束で42龍と伏線を生かした1歩を補充し、以下も23歩を打つために有利そうな23桂を成捨て、龍を切っての収束で、100局紹介した後に総括しますが、この作品が1位で、里見氏の代表作の一つだったのですが、詰棋めいと26号で里見氏の追悼特集時に不詰が明らかになったのは皮肉なことでした。
里見氏は里見義周・里見凸歩・里見義舜の名前で約100作の発表があります。1930年〜1972年頃迄ですが、殆どは将棋月報と、昭和30年頃迄の詰パラです、作品集の「詰将棋朗作選」(50作)と「闘魚」(50作)にその代表作の殆どが収録されています。
里見氏の功績は詰将棋で昭和初期に活躍されたこともありますが、何と言っても詰将棋の評価について客観的に分析したことでしょう。代表的なものとして「詰将棋とは何か」(将棋世界昭和15年9月号)、「詰将棋に於ける捨駒の目的」(詰将棋パラダイス昭和25年7月〜26年7月号)を挙げておきます。その中に詰将棋捨駒分類表があり、それらを基に後年村山隆治氏が、詰将棋の数値化して評価する方法を名著「詰将棋教室」等で知らしめたりすることになりました。
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第八十八番
名古屋市昭和区川原通五丁目一
税理士 三十才
十級 龍虎と号し間宮先生に師事す
鈴木 芳巳氏作

51飛成、72玉、71龍、83玉、72龍、74玉、92角、64玉、63龍、55玉、56銀、44玉、54龍、35玉、45龍、26玉、36龍、同玉、81角成、26玉、27歩、15玉、16歩、14玉、15歩、13玉、14歩、22玉、13歩成、32玉、54馬、42玉、43馬、31玉、53馬、42銀、23桂、同香、22角、32玉、43銀成、同銀、
31馬迄43手
龍の押し売りがテーマで、72龍・54龍・36龍と捨て追いするのは面白いところで、その合間に92角の好手を織り込んで前半部分は見事です。ただ龍を捌き捨てて以降の手順は短く纏めたいところです。
鈴木氏は大石の旧姓で将棋日本に1938年9月に入選され、旧パラに2作、新パラに1967年2月に発表後、詰将棋の発表がありませんでした。ところが1977年になると次々に将棋マガジン・将棋ジャーナル・詰棋めいと等にも品を発表され、1993年7月には佐藤宗弥氏と共著で作品集「うづ潮」を発表されました。発表作は150作弱、手数は3手〜79手ですが短編の軽い手筋物が多かったようです。
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第八十九番
北海道札幌郡琴似町宮ノ下二二三
会社事務員 二十八才
三級
小原 信治氏作

83銀、同と、93金、同玉、83歩成、94玉、93と、同玉、83香成、94玉、93成香、同玉、83香成、94玉、93成香、同玉、83香成、94玉、84成香、同銀、同と、95玉、85と、96玉、86と、97玉、87と、98玉、88金、99玉、98金、同玉、99歩、89玉、78銀、99玉、88銀、98玉、89銀、同玉、79金、98玉、97と迄43手
香成捨て作品の記念すべき第1号局だと思われます。(本作は4香成捨てでは無く3香ですが)それだけでも、詰将棋史に残る作品だと思いますが、本作は1号局でありながら、小駒図式であることや、意味付けが邪魔駒消去である等、見事な内容です。繰り返しますと、88香を消去しておかないと88金という収束手順が指せないのです。
小原氏は1941年〜1951年に12作の発表があり、発表誌は将棋世界・将棋時代・将棋研究・旧パラで手数は7手〜43手で本作が最終発表作です。本作は中編ですが本来は短編の手筋物を得意にされておられました。また、小原氏は若き日の山田修司氏を柏川悦夫氏に引き合わせた人物であることが、山田修司氏の作品集「夢の華」で明らかにされており、そういった意味でも、詰将棋史的にも重要な人物です
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第九十番
愛媛県東宇和郡中川村加茂 筆名斜一線
農業 三十四才
七級
三好 鉄夫氏作

64角成、同玉、31角成、74玉、76飛、65玉、75馬、54玉、53馬、45玉、44銀成、35玉、34成銀、同玉、36飛、23玉、32飛成、同玉、42馬、21玉、29香、23歩、同香生、22歩、同香成、同玉、34桂、12玉、13歩、同玉、24金、12玉、13歩、21玉、22桂成、同玉、33馬、21玉、12歩成、同玉、23金、21玉、22馬迄43手
初形は象形図なのでしょうけど、何を表しているか、作者のコメントも無いので不明です。象形図式であるのなら、旧パラに掲載されたイロハ字図式の作品より出来が良いと思います。46飛が浮いているので、手が限られています。飛車と馬で玉を追い、17手目32飛成と切った局面は詰みそうに見えませんが、42馬〜29香とすると詰み形になっています。29香(24香以上の以遠打でも良い非限定)に対して23歩〜22歩の2段合が出て、以下もよく纏まっています。
三好氏は1942年〜1952年に将棋世界・将棋月報・将棋研究・旧パラに68作発表されました。手数は9手〜55手で中編の捌き作品を得意とされました。三好氏の名を知らしめたのは、初形盤面イロハ図式の連載でした。北村憲一氏によると、作品集「愚考百撰」があり、作品数は100作とのことです。

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