旧パラを検証する126
第十号 百人一局集 17
第七十六番
千葉県四街道千葉大学分校睦寮内
教師 三十四才
大関 信雄氏作

21銀生、同金、22銀成、同金、11飛、同玉、21桂成、同金、33馬、イ22銀、14飛、12金、23桂、21玉、13桂、ロ同金、11桂成、同銀、同馬、31玉、43桂、ハ42玉、33銀、43玉、44銀成、42玉、33成銀、41玉、42歩、31玉、22馬迄31手
イ桂合や角合は13飛、12金、同飛以下
イ香合は13飛、12金、23桂、21玉、43馬、32合、33桂迄
イ飛合は14飛、12金、23桂、21玉、13桂、同金、11桂成、31玉、43桂以下
イ金合は14飛、12金、23桂、21玉、13桂、同金右、11桂成、同金、同馬、31玉、43桂以下
ロ同銀は11桂成以下
ハ32玉でも良い非限定
銀を捌くしかないのですが、銀2枚消去して11飛と下段に落とすのは気持ち良い手順。イの合駒は読みを要する所ですが、原書には触れられていません。22合は斜めに効く駒と仮に決まった時の14飛が13桂と飛先の桂を打つための好手です。この手が決まると後は合駒が何かの最長手数探しになってしまうのは残念な所です。
大関氏は1950年〜1961年に主にパラと風ぐるまに49局発表されました。捌きの大関と呼ばれ中編以上の合駒を入れた粘っこい作品を多く創作されました。また双玉作品や大道棋も多く創作されました。規約論議も好きで、変別〇論の熱烈な論客でした。
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第七十七番
東京都大田区田園調布一ノ一一三一
河原化粧化学研究所内 坂東常義方
松山 菊夫氏作

21角成、41玉、44香、42桂、31馬、同玉、33飛成、イ32角、42香成、21玉、32成香、ロ12玉、24桂、13玉、22角、14玉、23龍、同玉、33角成、13玉、12桂成、同玉、23銀、13玉、22銀生、同銀、同馬、24玉、25銀打、35玉、44馬迄31手
イ21玉は23龍、22銀、12銀、31玉、42香成、同玉、34桂以下
ロ同銀なら13桂、12玉、34角以下
初手21角成の角捨てから入り、44香の限定打〜31馬迄は良い導入です。ただ以下はイ、ロの変化を含んだ最長手順探しになります。収束で23銀〜22銀生と突っ込んで44馬迄の詰上がりは一寸意外ではあります。
松山氏は1948年〜1951年に6作の発表作があります。発表先は初入選の将棋時代以外は全て旧パラで手数は5手〜31手。合駒の入った捌き作品を得意とされておられました。
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第七十八番
豊川市白鳥町農ケ上二十一号
自動車運転士 三十三才
七級位
鈴木 実氏作

23銀、同玉、21龍、22桂、24歩、13玉、11龍、12桂、23歩成、同玉、24香、同桂、12銀、13玉、21銀生、23玉、12龍、33玉、13龍、23飛、45桂、44玉、43成香、同飛、同龍、同玉、63飛、イ42玉、
A53桂成、33玉、B43成桂、23玉、32成桂迄33手
イ52玉は53桂成、51玉、61飛成、同玉、62金迄33手
A32銀成、51玉、53飛成、52金、42成銀、61玉、52龍、71玉、82金迄余詰
B54成桂、42玉、43成桂、51玉、53飛成、41玉、42成桂迄余詰
詰ますとしたら、玉を24に誘導し22龍、23合に33銀で詰ますようなイメージになるので、23銀〜24歩は妥当で、途中の22合や12合も香が売り切れでは桂合しか無いところです。11で香を入手できたので、玉を24に誘導すべく23歩成〜24香の打ち替えを行います。11香を取るときに12桂合を発生させたことにより、24同桂と取れるようになったのは面白いところです。24が塞がりましたが、今度は12に空白が出来たので、そこに12銀と打って次の段階に入ります。19手目13龍と合駒を請求すれば飛合は容易に決まり、その飛合を動かしてから取る収束に入るのは巧いです。問題は27手目63飛と61金を狙った限定打を放った後です。百人一局集に載っている手順はここで42玉として、53桂成以下33手ですが、AやBの簡単な余詰があります。したがってイ52玉とし、62金迄33手が作意なら、飛車も捌けるし、奇麗な順で先ず先ずの作品だと思います。このことについては後に修正記事も出ていないので、イは変化と見做すしかないのですが、それでは不完全なのでイを作意順として完全作扱いにしたいところではあります。
鈴木氏は1943年〜1956年に詰パラ・将棋世界に7作、1999年に将棋世界に1作発表がありますが、1999年の作品は別人である可能性が高いと思います。手数は7手〜33手で、
短編の手筋物や初形が面白い作品を作られました。
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第七十九番
東京都中野区鷺宮一ノ九六
東大文学部英文科在学中 十九才
棋段級不明
堤 浩二氏作

92飛成、同玉、97香、イ同銀生、84桂、ロ83玉、92角、93玉、94歩、同玉、95歩、同玉、65飛、ハ94玉、85角成、93玉、94歩、82玉、62飛成、同金、A83銀、71玉、81角成、61玉、72馬、51玉、62馬、42玉、41馬、33玉、23金、43玉、32馬迄33手
Aで93歩成、同玉、94銀、82玉、83銀成、71玉、81角成、61玉、72馬、51玉、62馬、42玉、41馬、33玉、23金、43玉、32馬まで37手。余詰に近い迂回手順
イで同銀成は作意と同様に詰む。早い順も無さそうで非限定と思われる。
イで95桂合は同香、94桂、83角(原書では同香、93桂、84桂以下)同玉、75桂以下
ロで81玉は63角打以下
@72桂合、同角成、同金、同桂成、同玉、64桂、82玉、83歩、93玉、94歩、同玉、85金、83玉、61角成、92玉、93飛以下
A72香合、同桂成、(A)同金、84香、(B)92玉、93歩、同玉、83飛以下
(A)92玉、82飛、同金、同桂成、同玉、84香、83合、同香成、同玉、61角成以下
(B)(a)83合、72角成、同玉、83香成、同玉、84歩以下
(b)82香合、72角成、同玉、82香成、同玉、83歩以下
ハ75桂合、同飛、94玉、95歩、93玉、85桂、82玉、73飛成、同銀、同桂成、91玉、81角成以下
☆残念乍ら段級を調べる機会を未だ持ちません。詰棋人の誰人もが解けない程難しい作品を作りたいという念願を持っています。
★変化が難しい作品です。先ず、4手目の受け方です。中合を読み切り同銀成か生かが直ぐには決められない所で、同銀生が作意なのですが、同銀成でも作意と同様に詰み、他に手が無いので非限定だと思われます。主眼手の筈ですが、ここが崩れているのは大きな減点です。
以下ロやハの変化を丹念に読まなくてはならないのは、後に難解派と呼ばれるようになる堤氏らしい変化です。そして13手目62の質を睨んで65飛とすれば以下は92角を馬にしての追撃で終わります。変化は重厚ですが、作意は途中から軽快になります。前半と後半がアンバランスな感じがします。
ところで、Aで93歩成以下の迂回手順があります。余詰に近く一寸痛いと思います。
堤氏は1949年〜1972年に本名で49作、手数は7手〜91手。発表誌は詰パラ、将棋世界、将棋とチェス、(旧)王将、詰棋界ですが、詰棋界が27作と圧倒的に多いです。また「呉江流」のペンネームでも5作発表があり、この名前でも詰棋界での発表は4作あります。古典的な妙手を尊重する批評家でもあり、趣向手順は妙手ではないと貶す評が記憶に残ります。
作品は古典的な変化が複雑な妙手の入った中長編がある一方、批評家としては批評していた、簡易な馬鋸や4桂追の作品や軽趣向の作品があったりして、言行不一致な面も見受けられます。まあ、理想の作品が作れるかどうかは別問題なので、仕方ないでしょうけど。
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第八十番
神戸市灘区新在家南町四丁目一九
醸造会社社員 三十才
棋段級高段者に一丁半
藤倉 満氏作

32銀生、11玉、12歩、同玉、23銀生、21玉、32角成、11玉、33馬、21玉、43馬、11玉、44馬、21玉、43馬、11玉、33馬、21玉、32銀生、12玉、34馬、22玉、イ23銀生、21玉、22歩、同角、12銀生、31玉、32歩、41玉、52馬、32玉、42馬迄33手
イで31玉は32歩、21玉、22歩、同角、12銀生、32玉、43馬、31玉、42金迄33手変同
☆パラダイスの前身の紳棋会報時代からの会員でユメユメ傑作などは出来ぬと思って居り
ますが、今後勉強して少しでもよいものを作りたいと思って居ります。
★今となっては馬鋸の収束形の一つですが、そのはしりなので価値はあると思います。イの変同は今は気になりますが、当時は問題なしです。
藤倉満氏のプロフィールについては、以下作品集「四万十」から引用します。
藤倉 満(ふじくらみつる)
生年月日 大正9年6月10日
没年月日 平成3年11月13日
詰将棋歴
初入選 紳棋会報昭和23年6月号
最終発表 詰パラ平成4年5月号
発表局数 約四百局
昭和53年3月より昭和54年11月迄詰パラの大道棋研究室担当
昭和53年9月発行の「大道棋奇策縦横」に「大道棋の歴史」を執筆
昭和54年度の壮棋会々長(現創棋会)を務める
受賞 詰パラ昭和42年上半期賞を受賞
第9回詰将棋ジャーナル賞(昭和60年)を受賞
ペンネーム 昴杜尚、河辺野凡太郎、藤倉辰夫

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