旧パラを検証する97
第十号3
つれづれ草・・・今の読者サロンのコーナーより以下の記事
新春初心詰将棋・石井鉄之助・・・自作を懸賞出題
「木村詰将棋」短評・佐藤生・・・「木村詰将棋」を題材に合駒に関係のない変長作が不自然であること、手順前後のある作品に対する批難。変長手順に余詰順があることに対する疑問を述べ、こういう矛盾を理論化する努力を表記するとき始めて「木村」の銘に価値があり時代の要求にマッチするという主張。しかし、木村名人に興味が左程ない詰将棋の規約を示せ。と言っているようなもので、普通に考えれば無理だと思います。
不完全作の限界に関して・米津正晴・・・以下全文転載
「近代将棋」二十五年十一月号の詰棋欄で、詰将棋の規約に関する問題の一例があつた様です。即ち野口益雄氏の作品の場合がそれで担当の金田氏は解説中に次の如く云われて居ります。
「三手目二二銀成で二四銀成とすると、以下二四同玉、三五角、(管理人註:原書では三四飛となっているが誤植と思われる)一五玉、一六歩、同玉、二六飛、一七玉、二一飛成・・・の作意より手数の長い詰みがある。しかしこの詰手順は、次の図でいえば、三二金と打って詰めるのと同じであるから、このような余詰があるからと云って、それを不完全作品と見なすのは当を得ないことと思う。

ただ、それがより長いにせよ別な詰があることは、作意の絶対さをなくすので、そういう意味で玉方三五歩を加えて二四銀成の詰を消すのがよい」(原文のまま)
野口益雄氏作

(作意)一三銀、二三玉、二二銀成、一三玉、二三成銀、同玉、一三飛、同玉、三一角、二三玉、二二角成迄(十一手詰)
金田氏は「この様な余詰があるとしても」と前図の例を引用して、「この場合本図は不完全とは云えない。」只、作意より長いにせよ別の詰があるのは作意の絶対さを失うのでその意味から玉方三五歩を加えて之を消すべきだと云う意味の事を述べられている訳です。之に関しては他にもこれまでいろいろと例がありましたが、いずれもその解決がまちまちで曖昧な感を受けざるものはなかつた様です。私も、去る日詰将棋憲法を起草してみましたが、この問題については第三条に次の様に唄ってあります。
第三条 詰将棋は唯一つのみの本手順を持たなければならない。詰方の攻方により、二つ以上の詰が生ずる場合は作品は余詰ありとして不完全となる。即ち初手から二様以上の詰がある時は勿論だが、詰手順道程中に於ても、あと一手で詰上りになる場合のみを除いて、それ以外に二様以上の詰がある場合不完全とされる。
ですから私の考えではこの場合前図は余詰、不完全作となる訳で、後図は二二金と打てば一手詰ですから、それが正解で三二金打以下の詰があっても(勿論この詰もなければそれに越した事はありませんが)不完全とはいえないのです。
この様に規定しますと、やや明確な判定が得られると考えます。いままで本問題に関しては解決されてなかつたので、野口氏の例を借りまして、一寸私見を述べさせて頂いた次第です。(尚詳細は私の憲法草案を参照下さい)もし他にも異なる考えが御座いましたならお互によく研究してこの点については一切の疑点を残さぬ様に努めたいと思います。
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この頃は、詰将棋のルールがはっきりしておらず、金田氏程の作家ですら、詰方最短と余詰の区別がきちんと整理されて居なかったのです。ところで、野口氏作ですが、古今短編名作選第41番に選ばれていますが、その図は玉方35歩のある図です。修正図であることと修正案が金田氏案であることは今回初めて知りました。
将棋川柳・十軒子・・・自作の川柳が六首書かれています。その内一つを紹介
ヘボ将棋矢倉に組むまで相手見ず
現在の将棋雑誌から・石井鉄之助(東京)・・・この当時、(将棋)世界、(将棋)評論、(将棋)ニュース、(詰将棋)パラダイスの五誌が発行されていて、(括弧内は管理人加筆)王将、(将棋)時代、(将棋)教室、詰棋人、将棋、チェスと将棋、の六誌が廃刊になり、その廃刊理由の考察。
詰将棋作家を語る・玉川棋人(東京)・・・以下全文転載
アマチェアの詰将棋達人は沢山居る。
私の貧しい蒐集から少しそれを語ってみたい。
将棋月報のあつた頃、有馬康晴(大山九段と同名!)岡田秋葭、藤井朗の諸氏。まだ他にもゴマンと居たが・・・。藤井氏は足が不自由で将棋を親しまれたようで独学で三級まで進んだ。一度萩原八段の門に入られたが仲々立派な作品を残して居られる。次図はその作で、全く惜しい作家を亡くしたものです。
藤井朗氏作品

24桂、同金、34角、同歩、23飛成、同玉、32角、22玉、21角成、23玉、32馬、12玉、23銀、同金、21馬迄15手
有馬氏は名門の方で父君は徳川時代なら大名、農林大臣につかれた事もある。病弱の身に鏤骨彫心、将棋月報社より「詰将棋吹き寄せ」と云う本を出版されて居り時々通信も頂いて居る。月報華やかなりし頃は華麗な作品を続々発表して居り、指将棋より専ら詰将棋に打ち込んで居られたようだ。
短命にて若くして亡き数に入られたが、若し今有馬氏存命ならば本誌で縦横の活躍をされるであらう。今静かにその事を考える時惜しみても余りある事と云わねばならない。同氏の作風をよく現わしている作品一局を御紹介して同氏を偲ぶ事とする。同氏から商品に頂いた駒形の貯金箱は私の愛蔵品の一つである。
有馬康晴氏作品

15飛、23玉、13飛成、同玉、25桂、23玉、15桂、同銀、33桂成、同玉、34歩、23玉、33歩成、同玉、25桂、23玉、35桂迄17手
岡田秋葭氏は月報当時の大家で比肩するもの稀な作家でした。氏も又故人で、藤井、有馬、岡田氏等々の諸君が存命ならどんなにか華麗な作が見られるか考えただけでも惜しいが、本誌によつて有力な新人が続々発掘され妙作傑作が誌上を飾りつつある事は力強い限りである。
岡田氏の作品一局を掲げ同氏追善の印とする。解答は来月号に出させて頂く事とし、引き続き来月も作家紹介を続ける。
岡田秋葭氏作品

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玉川棋人は内容からして多分、越智信義氏と思われます。有馬氏の作品は簡単ながら感じの良い作品だと思います。ところでこの作品は有馬氏の作品を全部掲載しているはずの「有馬康晴作品集」(これから漏れている作品を補った、リコピー版の「有馬康晴作品集」も)に載っていません。不思議に思い調べてみると、出典は「図研會々員作品集(第一輯)」の45番でした。更に調べてみると、この作品集の49番・50番も載っていませんでした。中々面白い作品なので併せて紹介しておきます。

36金、同桂、26香、同玉、15銀、16玉、17歩、同玉、26銀、27玉、28歩、同玉、17銀、18玉、19歩、同玉、28銀、29玉、39銀右、23香、38銀、イ28玉、29歩、38玉、47銀左、29玉、38銀、ロ28玉、29歩、38玉、39歩、27玉、49馬、26玉、16馬、35玉、34馬、同玉、33角成、35玉、47桂、25玉、A23龍、16玉、B19香、17歩、C34馬、15玉、D25馬迄49手
イ同玉、47銀左、28玉、29歩、同玉、38銀以下作意に戻る変同有り
ロ同玉、39歩、28玉、29歩以下作意に戻る変同有り
A43馬、34桂、23龍、24銀、34龍、14玉、16香、15歩、26桂、13玉、15香、同銀、14龍迄余詰
B34馬、17玉、12龍、27玉、16龍の余詰あり
C12龍、26玉、17龍、25玉、16龍の余詰あり
D17香で駒余りの詰め方もあり
初手36金は香筋を遮り受け方の桂をわざわざ利かせる手なので、指し難いのですが、後の47銀を実現する為の伏線手の好手です。次の銀鋸+歩打捨ては旧パラを検証する94で紹介した山田修司氏作「夢の華第9番」が元祖だと思っていましたが、この作品が有ることは知りませんでした。以下馬筋を通す為の47銀左からの邪魔駒消去(49銀から消去しようとすると、27玉とされ、49馬が出来ずに不詰になるのも巧いところ)から49馬を実現させて詰上がります。銀鋸に伏線手や邪魔駒消去が散りばめられ、面白い作品なのですが、収束A〜Dに見られるような乱れが発生しているのは痛い。B〜Dの順は当時はキズとして黙認されていたのだと思いますが、今では許容出来ません。

62歩、同玉、73金、同角、53金、61玉、62歩、同角、同金、同玉、53角、61玉、62歩、52玉、75角不成、イ62玉、53角不成、61玉、62歩、52玉、86角不成、62玉、53角不成、61玉、62歩、52玉、97角成、ロ62玉、53馬、61玉、73桂、同角成、62歩、同馬、同馬、同玉、53角、61玉、62歩、52玉、35角不成、42玉、53角不成、41玉、42歩、52玉、26角成、42玉、53馬、41玉、31馬、同玉、21飛、同玉、33銀不成、12玉、13歩、同玉、22銀引不成、14玉、15歩、同玉、24銀不成、14玉、13銀引成、
イ55香合(桂合も)で不詰
軽い序で角を奪い14手目52玉の局面で35と75どちらの歩を取るかが問題になります。
先ず35角成、42玉、53馬、41玉、31馬という手順を進めると、26とと28角が29香の効きを邪魔して詰みません。そこで、75角生以下97の成桂を取り73桂として28角を剥がす前準備が必要になり、今度は35角生以下26と迄剥がして29香の効きを通して収束に入ります。左右で角生で剥がす作品というと三木宗太氏の作品を思い浮かべましたが、本作品は一枚の角で左右の剥がしを実行しており、三木氏の作品に比べて高度な構成になっています。(参考までに三木宗太氏作を紹介しておきます。)

ところがこの構成だと35とを取る時期が限定されていないようです。(75・86・97・35と剥がしているが35・75〜や75・35・86〜等の順でも良さそう)そして一番の問題はイで55香合(桂合)で簡単に不詰だということです。この合駒はロに至る迄の開き王手部分のどこでも不詰になります。完全であれば時代を考えれば傑作だと思うのですが、惜しいです。修正は結構難しそうです。
「解答は来月号に出させて頂く事とし、引き続き来月も作家紹介を続ける。」とありますが、後続記事は書かれていないようです。

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