旧パラを検証する78
第八号3
敗戦記録(1)丸田八段との順位戦 自戦記 八段 板谷四郎・・・文字通り、指将棋の自戦記
つれづれ草・・・今の読者サロン。今月の記事は下記の通り
@忘れられぬ詰将棋 玉見時生・・・玉見氏の思い出の詰将棋紹介
Aヘボの創作休むに似たり 岡村芳雄・・・対局中の局面から詰将棋を創作する過程を紹介。
B同じ詰将棋ですか 渡辺一平・・・塚田前名人・山川七段・木村名人作が極めて似ている作品を発表していて、その類作指摘。確かこの話は、塚田前名人と木村名人の実戦に似た局面が現れ、それを詰将棋として発表したので類作になったという話が、別の本に出ていたと思う。山川七段の図は、その本では言及されていませんでしたが、実戦が元ネタの詰将棋で塚田・木村戦なら、その将棋を見た人なら発想する可能性があるので、この件に関しては偶然のような気がします。
C詰将棋横槍 石井鉄之助・・・雑誌に出ていた作品の不完全指摘
D無題 B・Y・生・・・近況報告
E温故知新 川上幸治・・・この記事は面白いので全文転載しておきます。
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温故知新 川上幸治(鳥取)
将棋新誌懸賞詰将棋解答成績抜粋
第一巻(33題)大正十三年
山本庫次郎 31 京閑 棋人 29 山崎 秀雄 22
山村 兎月 20 結城 一芳 17 田代 武雄 14
第二巻(48題)大正十四年
山本庫次郎 44 京閑 棋人 44 田代 武雄 43 吉田 茂 42
山田 佐市 34 山村 兎月 28 上野竹次郎 26 山崎 秀雄 26 上野 清吉 26
第三巻(66題)昭和二年
山本庫次郎 64 吉野 源吉 62 皆川勝太郎 60 山田 佐市 55 遠藤 三郎 48
手塚 清作 46 田代 武雄 43 山村 兎月 35 下神 八造 32 二宮 一雄 30
本田長次郎 30 外に 塚田正夫 23
◎山本庫次郎は当時詰棋解答の第一人者で松江市中学校の先生でありました。塚田正夫は云うまでもなく今の前名人の初段時代であります。
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この時代は妙手説で不詰や長い変長もあり、解答王を3連覇した山本氏は凄いと思います。
F印象に残ることども 東清遊 ・・・印象に残った詰将棋の紹介。その中で次の高柳三段(当時)の作品は面白いので紹介します。

82飛、(81飛でも良い)94玉、83飛成、同玉、72角、93玉、94金、92玉、83金、91玉、81角成、同玉、72銀成、91玉、82成銀迄15手
初手色々紛れがあるところで、94桂が邪魔駒で82飛〜83飛成で消去するとは、巧い作品です。流石高柳先生です。
G詰将棋は果たして行き詰まるか 盤駒夫・・・・推論から詰将棋は、少なくとも20年〜30年は行き詰まる事は有りえないという主張。⇒実際はこの記事から60年位経っていますが、行き詰まっては居ないわけですが、、、。
H高柳さんに一言=将棋世界誌より 相洲棋人・・・大学将棋の投了図を掲げ、高柳先生の講評では後手が投了した局面では先手に詰み無く後手に受け無しと書いてあるが、実は先手に詰みがあるという指摘。
I塚田前名人の握り詰実演を観るの記 野崎雅男・・・この記事も全文引用します。
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東京上野の松坂屋で九月一日より九日にわたり将棋の祭典が催された。その催しの中の塚田前名人の握り詰を見る機会を得た。
九日午前十一時に始まると言うので、所用を後回しにして時間一杯に会場に着いた。木村名人と大山九段の対局も行われた会場なので廣い処かと思ったら案外狭く、十畳敷の和風の座敷がしつらえてあり、その周囲三方に長椅子で百五十人位掛けられる席が設けてある程度のものです。その座敷を能の舞台にたとえれば、橋がかりに当たる処に大きな将棋盤が掲げてあると云う按配です。
十一時を廻ること十二三分、塚田前名人は司会者等と共に入場。まづ司会者より一握り詰の非常に難しい所以、握る駒数は少なく共五箇以上でなければ面白いものは出来ない、出来上がるまでに三十分位は時間が欲しい等説明があり、盤上の桐蓋の上に盛られた駒を観客に握って呉れと云う事になつた。
其処で手拭を首に巻いた中年労働者風のおやじさんが竹柵を乗り越えて出てゆき掴んだのが
「角金桂三歩五」
これに玉を加えて十一枚。座敷も将棋盤に向かっていた塚田さんに渡された。いよいよ始まり始まり。
私の時計で十一時二十三分三十秒。これ等の駒は早速パチパチと盤の右上隅にならべられ始めた。私は中央後列の方から首をのばして見ていたのでよくは見えなかったが、二一に桂を置いたり、歩を一三に置いたり、兎に角塚田氏得意の実戦型の構想の様に見受けられた。
薄鼠色の背広に開襟シャツと云う姿の前名人が、左手をつき独りでパチリパチリやりながら盤に向かっているのはあまり興行価値があるとも見えませんが、好き者は沢山あると見えて見物はギッシリ。
前名人が途中で扇風機を止めさせたのは、考える人としては尤もな事と思われましたが、それにしても会場の騒々しいこと、人声足音は止むを得ぬにしても大工が座敷の竹柵の破損箇所を、この時になってカンカン修繕しはじめたのには驚きました。それに六階とは云えデパート特有の人いきれ。前名人もやりにくい事と同情された。
それでも遂に十一時四十分。早くも出来たの合図が控えの人に傳えられ、大きな盤に発表されたのが第一図です。
(第一図)

九手詰だが十七手の変化があると註が付いている。午後一時までに大盤の下に設けてある箱に解答を出せば抽せんで五名の当選者に商品を授与すると云う趣向。
私も好きな道ではあり、午後一時からもう一度あると云うので、食堂で食事をしながらいくら考えても詰まない。時間は迫ってくるし、諦めてもう一度会場に行ってみると玉方の三四と金が歩になっている。初めの時は確かにと金であり、その後訂正されたらしい。
歩なら詰むかも知れぬぞと、又考えていたがまごまごしている中に直ぐ時間となり、前名人と司会者達が入場して来た。ハテどんな解かなと期待していると、司会者が壇上のマイクから「実は誠に申訳ない次第で・・・」
と云う前提で、前名人をはじめ居合わせた有段者(合計五十段にもなる由)がその後さんざん考えてみたがどうしても詰まぬ事に決定したと云う。イヤハヤとんだお愛嬌で腹も立たない。解答を提出した人が多数あつたようだが、司会者の巧みな弁舌と前名人の真摯なお詫びとで皆笑って無事に潜んで了った。
会場の雰囲気ではさぞ纏め憎かった事とて、この結果を招いた事に対し低頭された前名人こそ全くお気の毒であつた。
☆ ☆ ☆
そこで又早速第二回の握り詰の実演です。今度は「女の方」にと云う指定で(婦人もチラホラ居りました)私の前に居た娘さんが握つた。「大きな手だなア」「慾が深けえぞ」等の弥次の中に発表されたのが
「角金銀二桂二香歩五」
之に玉の十三枚。今度は確かに塚田氏得意の実戦型には持って来いの駒の配合。
「一度しくじると気持の動揺で二度目はなかなかやりにくくなるのですが・・・。」
との司会者の前置きにもかかわらずこれは案外早く纏まるだらうと思いました。案の定早くも十三分位で出来た。発表されたのが第二図
(第二図)

今度は先着順に、先の分のも合せて拾名に授賞すると云うので、皆夢中です。私もやっと見当がついて答案の紙を探してもぞもぞしている中に
「はいもう定員になりましたから締切ります。」
と云う訳。この間五分もかからない。前回の失敗に鑑み今度はあまり野心的な手を盛るのは控えたせいでしょう。解答は書かず共お分かりと思いますが、角を質駒にして然も不動駒にしているあたり自重の程が窺われます。
かくして握り詰の実演は終わりを告げた。
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J「握り詰」の記事 大関信雄(千葉)・・・この記事も全文引用します。
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「将棋の祭典」最後の日の塚田前名人の一握り詰の「将棋ニュース」の記事には驚いた。
その記事は小生の見た実況とは全く異なり(小生は解答午後一時を待たず帰宅)しかも私の見た詰将棋には全然触れず。
「余り恥かしくないのが出来て嬉しい」
とか塚田氏に語らせている。
かかる言は恐らく編集子の筆先から生まれたものと思うが、午前中の不詰局の件には全然触れずして表面を糊塗した記事の書き方は編集者の徳義を疑う。
勿論大勢の雑踏の中で僅かの時間に作るんだから(特に神経質の塚田氏として)失敗も大した問題ではない。寧ろかかる失敗はゴアイキョウと云うもの。正々堂々と公開したらどんなものか。
ファンに盲ばかりは居ない。ファンを愚にしたやり方は、連盟責任編集の「将棋ニュース」らしからぬ落手で、近頃になく嫌な思いをさせられた事であった。
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K本誌躍進の足跡・・・創刊号から本号までのページ数・広告数・記事数の比較(ページも記事も増えて充実しているという内容)
L順位戦展望 宮本弓彦・・・昭和25年の順位戦の途中経過解説。
握り詰の記事についてですが、第一図の作意は44桂、同歩、24桂、同と、43角、22玉、33桂成、同玉、32金迄の9手で、17手の変化は4手目同歩、41角、21玉、13桂生、11玉、12歩、同玉、23金、11玉、21桂成、同玉、32角成、11玉、22馬迄17手か?44桂に21玉で不詰で、それは34が歩でも詰みません。しかし、この見落としは酷い、作意と変化が逆になりますが、下図のような修正図でどうでしょうか?

また、2図も初手が気に入らないので、改作してみました。広がりすぎなのでイマイチですけど、、、。

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