旧パラを検証する77
第八号2
巨弾連発! 失礼御免 ヘタの横槍第五回 七十八翁 前田三桂
実戦家は詰将棋のやうな物は殆ど児戯に類すと嘲り、之を軽視して余り関心を持たない。
詰将棋党は又定跡のやうな物は面倒臭くもあり肩も凝るから覚える氣にならないと言ふ。
何れも似たりよったりの方輪同士で、共に正鵠を得ない点に至りては同一である。
併し時代の潮流は実戦家も詰将棋に無関心では居られなくなつて來た。定跡無視の詰棋党も木屑の押合に甘んじて居られなくなつて來た。見よ全国幾百万の詰棋党が怒涛の如く澎湃として押し寄せて居り猫も杓子も将棋熱に浮かされ、相掛りがどうの腰掛銀がこうのと縁台将棋にも行儀のよい将棋が見られるやうになって來た。巷間氾濫せる雑誌や専門将棋雑誌に詰棋を載せざるは無く、新聞にも棋譜や詰棋を掲載せざるは無く、新聞にも棋譜や詰棋を掲載せざるはなき有様である。
是に於て高段棋士に詰将棋創作の依頼が簇出し実戦の大家を面喰はせて居る。今迄見向きもしなかつた詰将棋を、さて自分に創作して見ると、実戦とは大分勝手が違ふ。随所に余詰や早詰が生じ中々思ふように出來上らない。タチの悪い先生になると、古人の作図を失敬したり雁首のスゲ替へや膏薬張りして誤魔化し苦心惨憺の出來上った迷作を、独りよがりして是れならもう大丈夫と世間へ発表して見ると、これはしたり、お愛嬌ルーム行の恥晒しが押すな押すなの大入満員の盛況は諸君が先刻御承知の通りである。
併し時の流れが実戦家として詰棋の必要を痛感せしめ、長夜の頑固な夢から覚醒し、お偉い方々誰も彼もが一様に詰棋に指を染められるようになったのは実に結構な事である。始めの程は鬼の千振呑ませたような顔してイヤイヤ作る詰棋も根が実力の有る大家だから直に詰棋工夫の「コツ」を悟り段々馴れるに随って宗看や看壽も徒跣で遁げ出す位の物は作って見せると追々鼻息も荒くなつて來るにつれて、毎時横槍に苦杯を舐めさせられるやうな詰抜棋譜はモウ恥かしくて作らぬようになる。詰抜のヤクザ棋譜が跡を絶つと眞に万世に傳へて恥かしくない首尾完璧の立派な名棋譜ばかりが製作されるのは必定で、それも決して遠い将来ではない事は横槍が保証して置く。サア、そうなると俺の仕事は足袋屋の看板で、もう足があがる。大事な神秘の籠った横槍はヘシ折って風呂たきにでもせねばなるまい。眞実俺の突き出す横槍は其日の一日も早く來らん事を渇望して棋士を覚醒せしむる為めに十数年來声を嗄らして叫んで居るのである。時は刻々に移る。
俺の命は今や斜陽の投げる暫時の余光に過ぎない。いでや横槍の深奥なる妙技を世の語り草に遺し置かん。横槍の乱舞活躍もあはれ寸刻の間だ。置きみやげに奇々妙々の面白い所を御覧に入れよう。
ドリャ一寸一服吸ふて仕事に掛らう。
☆ ☆ ☆
今爰へ引張り出して來た棋譜は目下売出しの花形棋士松田茂行七段と山本武雄七段が心血注いで百七十二手にも及んだ熱戦である。兎角長い物には「ロク」なものは無いわい。夫れ首の長きはお化に出て來るロクロ首。人の体中に住んで栄養を横取りうるのが真田蟲。鼻の下の長い色男にデレ介甚介あり。手の長い奴には懐中物御用心が肝要。下駄に灸をすえる箒に頬冠りのマジナイをするのが尻の長い客人追払ひ策、其外舌の長いのや爪の長い連中色々あるが就中鼻の長いのが将棋にはびこる天狗党で煩い煩い。此将棋守口大根同様長いのと奇妙な所が取柄で詰むかと思ったらほぐれたり、負けたと思ったのが勝になったり、勝敗変轉糾ふ縄の如く、女心と秋空のようなクルリクルリと移り変わる頼りない物で御座った。
引用棋譜(昭和二十四年度順位戦)
勝 七段 松田茂行 先 七段 山本武雄 対局 昭和二十四年九月十二日
▲2六歩 △3四歩 ▲2五歩 △3三角 ▲7六歩 △2二銀
▲4八銀 △8四歩 ▲3三角成 △同 銀 ▲8八銀 △8五歩
▲7七銀 △6二銀 ▲1六歩 △1四歩 ▲9六歩 △9四歩
▲7八金 △3二金 ▲6八玉 △6四歩 ▲4六歩 △6三銀
▲3六歩 △7四歩 ▲4七銀 △4二玉 ▲7九玉 △3一玉
▲3七桂 △5四銀 ▲5六銀 △5二金 ▲5八金 △6三金
▲6六歩 △7三桂 ▲4五歩 △6二金 ▲4七金 △8一飛
▲4六角 △6三金 ▲3五歩 △同 歩 ▲同 角 △4二玉
▲4六角 △3一飛 ▲6八金 △5二玉 ▲7八玉 △2二金
▲3六金 △4二銀 ▲3五歩 △3三銀 ▲4八飛 △3二金
▲5八金 △4一飛 ▲2八飛 △3一飛 ▲6七銀 △4一飛
▲5六歩 △4四歩 ▲2四歩 △同 歩 ▲3四歩 △同 銀
▲4四歩 △同 飛 ▲5五歩 △3五歩 ▲4五歩 △4一飛
▲5四歩 △3六歩 ▲2四飛 △3三金打 ▲4四銀 △2四金
▲同 角 △5四金 ▲5一金 △同 飛 ▲同角成 △同 玉
▲7一飛 △4二玉 ▲2一飛成 △3一金打 ▲1一龍 △4四金
▲同 歩 △2九飛 ▲5九歩 △3五角 ▲4六桂 △同 角
▲4八香 △3五角打 ▲4六香 △同 角 ▲4五桂 △2一金
▲6三角 △5二香 ▲1四龍 △2三銀打 ▲3三歩 △1四銀
▲3二歩成 △同 金 ▲6二金 △3一玉 ▲5二角成 △4五銀
▲4三歩成 △5五桂 ▲5三馬 △4二歩 ▲3二と △同 玉
▲4四馬 △6七桂成 ▲同 玉
にて掲出の図となる。図面以下の指手は次の如し。
△2五飛成 ▲4七歩 △5五桂 ▲7八玉 △6七銀
▲8八玉 △7九角成 ▲9八玉 △2四龍 ▲4五馬 △7八銀成
▲8八金 △7七成銀 ▲同 桂 △9五歩 ▲8九金打 △9七銀
▲同 金 △9六歩 ▲7九金 △9七歩成 ▲8九玉 △8七と
▲4四桂 △同 龍 ▲2一銀 △同 玉(ここで春図)
▲2二銀 △同 玉 ▲4四馬 △3三銀 ▲1一角 △同 玉
▲3三馬 △2二銀 ▲1三香 △1二歩 ▲4一飛 △2一桂
▲1二香成 △同 玉 ▲1三銀 △同 銀迄172手にて松田七段の勝ち

此局面に詰の有る事が松田氏には判らなかったのである。而して△2七飛成と引いて折角出て來て居る詰の筋を消して此後約五十手程飴の棒式に将棋を引延ばしたのである。
松田七段感想に曰
「五七飛と打てば簡単な詰と思っていたが同金同角成7八玉6七銀8八玉7九馬9八玉 2八飛成5八桂合で余される。(桂合を金合なら切って詰む)そこで僕は一旦二七飛と成ったのである。」
此所には次の如き巧妙なる詰があつた。
△五七飛▲同金△同角成▲7八玉△6九銀▲8八玉△7九馬▲9八玉△8六桂▲同歩
△8七金▲同玉△7八銀不成▲9八玉△8九銀不成▲8七玉△8六歩▲同玉△8五歩 ▲8七玉△7八銀不成▲9八玉△8六桂▲同銀△8九銀不成▲8七玉△8六歩▲同玉
△8五歩▲8七玉△8六銀以上三十一手詰。
御覧の通り大切な手駒の金も桂も気前良くロハで呉れてやり、まだ其の上に六九に打った銀を七八銀成らず八九銀成らずと数回往復して巧みに奪い取った桂まで惜し気もなく打捨て塚原卜伝流の無手勝流儀で首尾克く敵王の首級を挙げる前記の絶妙なる手段で恰も技巧を施して作為した詰将棋的の曲芸が実戦上に出來るとは誰が想到しよう。松田七段が此処に詰無と断定して二七飛成と引いたのは無理からぬ事だ。松田七段のみならず他の高段先生も此処の詰を看破し前記手順を構成する者は多くはあるまいと俺は断言して憚らない。詰将棋の大家塚田前名人もナール程是は妙だと感嘆するに違いないと思ふ。
偖て前記の手順で詰むには相違無いが色々変化を詳解しないと御了解にならない方もあるかと思ふ老婆心から蛇足を書き添えて置こう。
最初△五七飛と打った時▲同金と取らず▲7八玉と逃ぐれば△5八飛成(▲同歩なら △7九飛成▲6七玉△5六金打)▲6八合△同角成▲同銀△6七金▲8八玉△6八龍▲9七玉△8八銀▲9八玉△8九銀成(▲9七玉なら△8八龍)▲同玉△7八龍まで。
又△五七飛打▲6八玉なら△5八飛成▲同玉△2八飛成▲4八合△同龍▲同玉△5七銀 ▲3九玉△2八金▲4九玉△3七桂打迄
又始めに戻り△五七飛▲同金△同角成▲同玉△5九飛成▲6七玉△6九龍▲6八銀引 △7八銀▲7七玉△6七金▲同銀△同龍▲8八玉△8七龍まで。
更に本手順中△8六歩▲同玉の所▲同銀と取れば△7八馬▲9七玉△8五桂▲同銀 △2七飛成▲8六玉△8七龍。
以上で大体変化は書した。

偖て詰が発見出來なかった為に勝って居た将棋を難しくしてしまい、其後の経過は益々面白からず容態次第に悪化し春図の局面を現出した時には名医も匙を投げ既に末期の水を取らんばかりになって居り到底回春の望みは無くなって居た。松田七段も敵が一二角と打って来たら即詰になるを知り直に投げる覚悟を決めたが遉が糞度胸の強い彼は、ソンナけはいはチツトも色には出さず糞落着に落着き山本七段の打下す次の一手を固唾を呑んで見守って居た。山本七段は残り五分しかなく松田の圧迫と彼の何かやるらしき態度にをびえて慌て出し、今にして反撃せなければ敗けになるとでも思ったのであろう成算の無い二二銀と打ち以下譜の如き無茶苦茶な無鉄砲な王手王手を続行し、旨く敵に凌がれ手切れたなつて勝って居た将棋を投了して了つたのである。此将棋お互いに詰が見えない計りに勝を逸した珍品である。此所の詰はパラダイスの諸君が容易に詰める事の出来る初心詰であるから省略しました。高段の先生でも詰将棋を疎略にすると斯様なミジメな結果を招くから詰の研究は皆さん怠ってはなりませんぞ。
アツハツハ 失礼御免。
-------------------------------------------------------------------------------
途中の掛詞は、今や歌舞伎の中でしか聞かれないような言い回しですが、この当時は未だこういうことが書ける人がいたんですね。
最初の松田七段手番の詰みは長手数で、しかも詰将棋のような手順で、これは見落としても仕方ないと思いますが、山本七段の逃した詰みは、前田氏も仰ってますが、流石に見っとも無いと思います。一二角は紐付きで有利に見えるから、二二銀より指し易いと思いますが、、、。

1