旧パラを検証する74
第七号11
旧パラを検証する56に載せたように、「木村名人白?黒?」と題した記事が載っています。名人白の部・・・変別解の長手数を作意と思って、早詰指摘した記事を、その手順は変化で別の手順が作意で完全だという指摘。
名人黒の部 影法師・・・余詰指摘。この書き方が余りに酷いので、再掲しておこう。
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先日或人の好意によって「木村詰将棋」と云う書物を入手した此の本は木村義雄氏が塚田正夫氏に雪辱して第八期名人位に再就任した記念に上梓されたもので『私は愛好者のこの要望に応えて、今回再名人就任を記念する意味で自作の実戦型詰将棋のうちから比較的面白い、しかも実戦に役立つようなものばかりを五十題選んでこれに「木村詰将棋」と銘打って新機軸な解説方法を以て御参考に供することにしました』と序文に述べられておられる様に得意満面(?)で著された書物である。
何もそこに収められた作品は『私が多年読者と稽古将棋に現れて終盤形の面白い手筋をメモした手帖から寸暇を割いて整理したり新に好き手筋と思うものを附加したりして一作一作を発表してきたものばかりであります』(同書八頁)と仲々御自慢の好作ぞろいの筈である。
「木村詰将棋」問題 第二番

右図は同書の二十五頁所載の問題第二番である。
扨て此の問題の作意は 九二銀 同香 七一金 同玉 八三桂 八一玉 七一金或は九一金(七手詰)
とあり、御丁寧にも『一応七一金、同玉、六二銀と、七三金と連絡しての攻めも考えられますが、八一玉と逃げられた後、八二金と取る手が六四馬の強防でない以上、これもいけません』と解説がついている。
この作意の最終は八三桂、同金、七二金とするのが詰将棋の手筋である。それはまあイイとして、俺は蛮勇をふるひ起こして、六四馬の強防を恐れず、名人がそうしては駄目だとおっしゃった七一金以下八二金の手段で攻めて見たら、アレアレ不思議や詰んでしまったとは、コリヤどうじゃ。
七一金、同玉、六二金、八一玉、七二銀、九二玉、八二金、同馬、八四桂、九三玉、九四金迄
棋界始まって以来の名人、不世出の達人と喧伝された木村義雄氏だが、名人位を奪還して心ウキウキしすぎましたかな???
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余詰一つでなんでここまでボロクソに言われないといけないんですかね?私はプロの作品を必要以上に崇めるのは嫌いですが、必要以上に貶す必要も無いと思います。大体、人を貶すのにペンネームというのはアンフェアです。影法師は谷向奇道氏のペンネームだと後に谷向氏が明らかにしますが、この時点では誰が書いたか不明です。ただ、一つだけフォローすると、この書き方は前田三桂氏の「ヘタの横槍」のパロディーなので、面白がって書かれたのかもしれませんが、少しも笑えず不快に思いました。谷向氏の作品も今見れば余詰がボロボロあるし、三代伊藤宗看の作品を改作して学校に載せたり、詰将棋解剖学にも必要以上に自作を載せる(不完全も当然ある)し、谷向氏の方が不可解だと思います。
時の大名人が、名人復位を記念しての作品集を出したことは、喜ばしい意外の何物でも無く、不完全作があったとしても、功績の方が遥かに多いと思います。
私は不勉強で知らなかったのですが、塚田先生が名人になった時、作品集を出したのは知っていましたが、木村名人が復位した時に作品集を出したのは知りませんでした。木村名人は第一期名人に就位した時も詰将棋を発表しているし、詰将棋界にも多大な貢献していたんですねえ。
今の名人も名人になったら初心向きでも良いから詰将棋を出すとかしてくれれば良いのになあ。木村名人が気の毒なので、好作を紹介しましょう。(名人木村義雄実戦集付録より)

93銀、同桂、75銀、同香、95銀、同馬、73飛成、同玉、63角成、83玉、74馬迄11手
不完全作指摘 お愛嬌ルーム・・・作品の不完全指摘のコーナーでこの時点迄の指摘王は21点の川崎弘氏です。流石ですねえ。他にも、宇佐美正・高橋守・篠原昇・伊藤三雄・大井美好・岩谷良雄・麻植鉄山他の諸氏が活躍されておられます。
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附記:木村名人の後述の図について、佐原氏より「三井高精詰将棋集」の第16番と同じというご指摘をいただきました。確認したところ同一図でした。しかし「三井高精詰将棋集」は非売品で入手は難しかったと思うので、同じ三井氏著の「初心実戦向詰将棋三十題」が市販品で、その第7番(これも同一図)から引っ張ってきたのではないかと思います。しかし、いかに木村名人とはいえ、(正式には下請け業者?)三井財閥の三井男爵の作品をパクルとは度胸がありますね。
せっかく、木村名人を持ち上げたのに、思わぬオチがついてしまいました。

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