謝辞
詰将棋パラダイスの10月号で同人入りを果たした。(大学補講の作品で100回で無くて本当に良かった。自分で選んだ作品が100回目は避けたかったから、、、。)
振り返ってみると天地人に恵まれたとしか言い様がない。
天@私は小学生の時、図書館が好きで学校帰りに必ず、地元の小さな図書館で本を読むのが日課で、小さな図書館だったのに、何故か野口ブックスが揃っていたのです。そこで、50手を超える作品を見て、興味を持ったのでした。内容は解らなかったが手数が長いことにで驚いて興味を持ったのでした。同時に掲載誌に詰将棋パラダイスとあり、詰パラの名前も覚えることになったのです。
地@東京に住んでいたこと。近代将棋しか読んでいなかったので、会合報告は当時近代将棋に出ていた詰朗会の報告のみで、その会合が国分寺であり、通える範囲にあったこと。
人@故森田正司氏と故田宮克哉氏に出会ったこと。中学生で詰朗会に初めて出た時、両氏に声をかけていただき、次からも会合に出る気になったこと。特に田宮氏にはヤング・デ詰将棋に詰む将棋を採用していただき、私にとっては第一の恩人だ。
人A柳原裕司さんのミニコミ誌に参加したこと。このミニコミ誌には最初から参加し、どうしようもない詰む将棋を発表する場があったこと。今考えると、柳原さんは第二の恩人だ。
人B冬眠中だった私が解答選手権にたまたま出て、そこで柳田明さんと再会したこと。久しぶりに詰将棋関係者に会ったのですが、柳田さんが昔と全然変わらなくてホッとしたことは大きかったです。また、他の詰将棋関係の人にも再会して、私のことを覚えていてくれたこと。
天ANETのさざんか将棋倶楽部でにぎり詰のコンクールがあったこと。これは、創作を再開するきっかけになりました。主催者の千々岩さんにはとても感謝しています。
天Bその年の詰将棋全国大会が横浜であり、握詰が入賞したこと。これは場所が横浜で行くきになったこともあり、会場を探してきた駒谷さんには感謝しています。
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振り返ってみると、本当に人に恵まれたと思う。詰将棋パラダイス関係者の皆様、解説者の皆様、解答者の皆様、会合でお会いした皆様全ての皆様に感謝しております。
これからも、出来るだけ御付き合い願えれば幸いです。
本当にありがとうございました。

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