田宮克哉さんを偲ぶ
私が田宮さんと初めてお会いしたのは、昭和54年3月(?)の詰朗会でした。当時私は中学1年生で、当然誰も知りませんでした。その私に親切にしていただいたのは、田宮さんと森田正司さんでした。
その後田宮さんの担当するヤング・デ詰将棋に作品投稿・解答をして言葉に尽くせぬ程お世話になった。我孫子の田宮さんの自宅で詰将棋合宿を行ったりしたこともありました。
私が大学受験で詰将棋と縁を切るまでは、本当に親しいお付き合いをさせていただきました。
私は子供だったせいで、規約論争なども関係なかったので、私にとって田宮さんは本当に良いオジサンでした。
詰将棋界に復帰した頃には、田宮さんは外に出られることは無くなっておられたので、お会いする機会が無かったのは本当に残念なことでした。
私は「作品を100作作れば、好作は3つある。(50作なら一つ半だ。)」という田宮理論の信奉者で、今以てそれを信じているので、駄作を創作し続けています。したがって私が田宮さんを忘れることは、詰将棋を創作し続ける限り決して無いことでしょう。
詰将棋作家としての田宮さんは、本来力の入った中篇に本領を発揮されたのですが、パラに載せる作品は、穴埋め用の客寄せ作品が多かったのです。
有名な作品は他の方も紹介されるでしょうから、私は知られていない作品を紹介したいと思います。
詰将棋パラダイス1960年3月号掲載

32銀不成、14玉、23銀不成、13玉、25桂、同歩、22角、同金、同銀不成、同玉、31角、23玉、43飛成、33飛、同龍、同玉、43飛、34玉、33金、24玉、13角成、同玉、23金、14玉、13金、24玉、23飛成迄27手
先ず43銀が邪魔に見えるので、銀生で消去しにかかるのは順当なところ。13玉と銀を取らずに落ち着いた局面で、25桂の打診が好手です。25桂は筋ですが、同歩と取られると広くなるし、25からの脱出路は36飛によって塞がって見えるので、余計に指し難い着手です。
12手目23玉とされた局面では不詰感が漂いますが、43飛成としてみると、22角成の好手があるので33飛合の一手だというのは、実に意外です。飛合を取ってから43飛33金と重く打って13角成の華麗な決め手。最初から最後まで流れるような完成品で、忘れてはならない田宮さんの作品として紹介いたしました。
私が全国の会合に出ているのも、会合を主催するまでの根性は無いけれども、少しでも田宮さんのような名伯楽に近づきたいが為でもあります。
繰り返しますが、お亡くなりになる前に一度もお会い出来なかったのは本当に残念です。
心よりご冥福をお祈りいたします。

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