旧パラを検証する16
第二号4
「ヘタの横槍」の下段には「各誌各紙詰物紹介」・・・プロが雑誌や新聞に載せた詰将棋の紹介。
「塚田前名人と酒 森利男」・・・塚田前名人・高柳八段・山本七段の31玉配置の詰将棋紹介。
「大道棋大道五目遍歴二十年(2) 大道棋人」これは面白いので前回に引き続き全文紹介する。
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前号では中学五年生の筆者が単身三河一色の大提灯縁日に乗り込み、大道五目屋荒しをやつた所、痛い目に遭はんとする所までで終わった。いよいよその危難の話になる。
まず大道詰将棋の方から手を付けんものと二軒店を張っている将棋屋の一軒の方からのぞく。出していたのは香歩問題。七二歩打の筋の簡単なヤツ。七一歩成捨が山でバタバタと詰めて敷島一個をせしめる。これはどうだと取り換へた問題が銀問題。五十三手詰。向ふは自信たっぷりだがこちらも確信一〇〇%。二三人引っかかるのを待って、「おぢさんやらせて貰ふぜ」と手を出せば、今度は鴨だよとばかり「さあさあどうぞ」と云ふ。結果は勿論筆者の勝。「学生さんは強い」とお世辞を云い乍ら朝日を一個呉れた。さい先よしと次なる一軒の将棋屋の方へ廻る。この方は持駒角の問題を出している。二十三手詰のヤツで苦もなく落城。将棋屋の賞品の出しつ振りが渋いので一回で中止していよいよ五目並べの方に掛る。五目並べは店が沢山出ている。ナデ斬りである。日はとつぷりと暮れ社の境内の大提灯に燈火が入りお祭り気分は高潮して来るが、こちらはそれ所ではない。五目並べ屋と喰ふか喰はれるかの勝負である。五目並べを四軒荒して次の一軒に移らうとした時である。
一見して人相風体の好ましからざる三十年配の男が私について来た。こちらは少しも気付かなかったが「おい若いの」と妙に凄んだ発音で呼び掛けられて初めて気が付いた。
「わしの事かね」と返事をすると、「一寸顔を貸してくれ」と云ふ。扨はお出でなすったなと思ったが、逃げる訳にもゆかない。「話なら此処でも良いぢゃないか」と一寸強気に出ると、「そんなら云ふて聞かすが、お前さん今日は一体何をしにこの大提灯へ来たんだ。お前さんの持っている風呂敷の中にはギショウヤ(将棋屋)やモクヤ(五目屋)からまき上げたモヤ(煙草)がぎつしり入っているだらう。一つや二つなら御愛嬌とも云へるが軒並みに荒されちゃこちらはバイ(商売)にならねい。そつくり吐き出せばよし、出さぬとあれば痛い目だ」と云ひ乍懐中から匕首を取り出した。当時使わなかった言葉だがギョギョツとしたネ。何を云ふにもこちらはまだ子供。青くなって了つた。「そのなに云ふのなら返すよ。折角こちらが苦心して破ったのにヒドイ事をするものだ。返しやいいんだらう。」と風呂敷の結び目を解けば十個位の煙草がバラバラと地面に落ちた。「帰らせて貰ふよ」と捨てぜりふを一発。後をも見ずに一目散逃げかへつた。今から考へてみても癪にさわるが、あの蛇のやうな顔をした香具師が今生きているだらうか。
それから一年ばかり。一色大提灯のあのテキヤの凄んだ目付を思い出して、大道荒しも気が進まず、東京高師受験の為上京して、浅草公園に遊んだ時も将棋屋や五目屋は沢山居たが、覗くだけで手を出す気がしなかつた。
中学を出て浪人。高師落第。名高ドロップ。受験はあきらめた。丁度その頃家運の傾いて来たせいもある。ドロップの原因の一半が将棋にあつたかも知れない。何れにしても頭が良くない事は証明される。浪人して家でブラついていても仕方が無いので弁護士の書生に住み込んだ。O市の若手弁護士の所であつた。書生をした経験の無い人には分るまいが弁護士事務所の書生稼業は仲々呑気な勤である。従って暇が出来る。O市にも勿論大道棋大道五目が居つた。ぽつぽつ煙草を吸ふ事を覚え、吸料稼ぎがはじまつた。
その頃(昭和七年頃)O市で大道棋を出していた男は。その男の話では浅草から流れて来たとの事である。よく出題していた問題は前頁にかかげた問題であつたやうに記憶する(管理人注:図面省略)その三題を交互に出題して居たやうで、殆ど破る者はなかつたのであつた。
何れも「秘手五百番」に収容してあるが、当時としては大道棋の合駒の妙手にひたすら感嘆したものである。変化の複雑、詰みさうで詰まぬ逃れ手順等普通詰将棋と趣を全然異にする詰物に無条件の魅力を覚えて居たものである。尤もその魅力は今日と雖も少しも減少はしていないが、、、。当時の私のノートにはせいぜい二三十題の蒐集しかしなかつたがその二三十題を宝玉の如く大切に蔵ひ込んでいたものである。
書生生活二年。二十二才の夏警察界に身を投じた。
駆け出し時代は忙しい。新任巡査は激務に従事せねばならぬ。将棋からも自然遠ざかる事になる。然し新聞の棋譜や将棋雑誌は忘れない。懸賞詰将棋は手の届く限り応募する。所詮将棋とは縁の切れない自分であるらしい。
その後フトした機会から信州松本市の将棋月報社から「将棋月報」と云ふ雑誌が発行されている事を知つた。将棋世界を見慣れた眼には「将棋月報」はひどくかわつた雑誌だと思った。三十銭といふ値段も気に入ったが、その内容は全く素晴らしいと思つた。その中に大道詰将棋の解説や研究が載っている事を発見した時、私の眼は異様に輝いた。凄い。かくの如き雑誌がある事を気付かなかったとは全く迂闊であつた。私は貪るように月報にかじり付いた。又前田三桂氏の「下手の横槍」といふ痛快至極の名稿も載っている。本当に珍重すべき貴重な雑誌であるとしみじみ考へた。大道詰棋のノートは月報を知つてからどんどん頁が埋まつて行つた。
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いやあ、今回も面白いですね。
最近はこういう読ませる文書が本当に少なくて、パラの随筆部分はほとんど読み飛ばしています。(スミマセン)。

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