自分が作った曲が実際の音になることは作曲家の大きな喜びではないでしょうか。
今年は1月に
オペレッタ『いのちのうた〜アリとキリギリスの物語〜』2幕拡大版、
5月に4名の独唱・混声合唱・パープ・ピアノ・打楽器群・弦楽合奏のための『長田弘の詩によるカンタータ』、
9月に1幕もののオペラ『アップルパイの午後』と続けて自作が初演され、大きな幸福に包まれました。
先日は僕の最新作となる管弦楽曲、連作交響詩『本能寺が燃える』が
熱田文化小劇場でレコーディングされ、音となりました。
この作品は僕の作曲家としてのデビュー作品、
ラジオ・ミュージカル『本能寺が燃える』の音楽が元になっています。
2010年の10月から12月にかけてこのラジオ・ミュージカルは
FM AICHI(現@ FM80.7)で放送されました。当初、僕は音楽監修という立場でしたが、事情から作曲も手掛けることになりました。僕がプロの音楽家を目指した際、最初は作曲家になりたかったのです。しかし、若かりし頃の僕は自らの才能のなさと根気のなさでその夢を諦めてしまいました(本当なら、他の作曲家の物真似でもいいから、曲を作り続けて、その才能を開花させるべきだったのです)。しかし、縁あってラジオ・ミュージカル『本能寺が燃える』のプロジェクトに関わり、期せずして「作曲家になりたい」という夢を叶えることができました。
ラジオ・ミュージカル『本能寺が燃える』は当時、放送圏内で同時間帯における最高聴取率を獲得、放送業界では最高の栄誉とされるギャラクシー賞ラジオ部門奨励賞と全国FM放送協議会が主催するJFN賞企画部門大賞を受賞しました。翌年にはCDが制作され、舞台化され、ラジオ版は全国放送されました。
その後、『本能寺が燃える』は僕の手を離れ、色々な形態で上演され、現在は戦国オペラ『本能寺が燃える』に落ち着いています。
原作者であり、脚本と作詞を手掛けたあおい英斗氏から原点に帰って、ラジオ版と初舞台版の音楽を元に管弦楽曲を制作したい旨ご連絡を頂き、作曲を依頼されたのは昨年10月。まさか再び『本能寺が燃える』に接するなんて露ほども思いませんでした。
作品のアイデアを練るためにおそらく初演以来、ラジオ版と初舞台版のスコアを開けました。懐かしさとともに、あまりの稚拙さに恥じ入るばかり…。しかし、当たり前です。初めての作曲ですから。でも、その当時の何もない中で放送に間に合わせようと精一杯書いたエネルギーは感じられます。勢いがありますね。
今回の管弦楽曲は7月半ばから11月8日にかけて作曲しました。今回は作曲というよりも編曲と言ったほうが正しいでしょう。旋律と原曲のテイストを崩さないというあおい英斗氏の要望を踏まえ(楽曲の構成上、調性を変えたり、和声をふくらませさたり、旋律のリズムを変えたりはした)、物語に関係なく「一、運命」「二、愛」「三、乱」「四、祈り〜幼き頃より願いしは〜」の4楽章に構成し、音楽が広がるよう新たに対旋律を付け加えたり(対旋律も実は原曲の音楽を元に作ったものもある)、オーケストラが映えるようにオーケストレイションをしたりして、今回の新作、演奏時間35分ほどの連作交響詩『本能寺が燃える』が出来上がりました。僕のアレンジャー、オーケストレイターとしての全力を注いだ集大成です。
そんな作品を今回のレコーディングで演奏して下さったのは
セントラル愛知交響楽団。中部地区で最もお世話になっているプロ・オーケストラによって実際の音になったのはなんと幸せなことでしょう!4時間で練習し、録音するという大変なスケジュールでしたが、楽団員各位の能力、集中力、協力のお陰でスムーズに進みました。
さて、「四、祈り〜幼き頃より願いしは〜」はミュージカル『本能寺が燃える』で重要な楽曲と言える『幼き頃より願いしは〜」を混声四部合唱とオーケストラにまとめたもの。今回は僕が長年指導している名古屋大学グリーンハーモニーの出身で、現在は合唱指揮者としても活躍している藤森徹さんが特別に編成し、指導した合唱団が演奏してくれました。平均年齢が20代前半でエネルギーがあるだけでなく、音楽的にも本当に素晴らしくて、僕がこの作品の合唱に込めた全てを表現してくれて、感激しました。オーケストラの団員たちや録音スタッフたちもその上手さに驚いたほど。
自分が身を削って(実際の身は削れず、大きくなる…)、心血を注いだ作品が素晴らしいプロ・オーケストラと素晴らしい合唱団によってレコーディングされた感動と幸せをどう表現したらいいのでしょう!
作曲家として実りの多いこの1年を締めくくるのにふさわしい仕事でした。