中村貴志、37歳にして初めて九州に上陸しました。
時はさかのぼること、6月の初め、お世話になっている奈良県大和高田市の「ときめきの第九」の事務局からお電話を頂きました。
ひとりの先生が中学あるいは高校で合唱を指導されている教諭を対象にした講習会の講師を探していて、たまたま「ときめきの第九」のホームページをご覧になり、是非僕にとのことでした。これはすごい偶然だと思いつつ、さらにお話しを伺うと、場所は宮崎県で、日程は7月の終わりとのこと。7月はスケジュールが詰まっていて、それを変更せずに講師を引き受けるのは無理と思いましたが、「ときめきの第九」の事務局にお問い合わせ下さった先生と直接お話しすることにしました。
僕の事情をお話しすると、僕のスケジュールに合う日程を早速示して下さり、大阪国際空港を朝一番に飛び立ち、講習会を終えた後はすぐに大阪へとんぼ返り、夜の仕事に間に合わせるという強行軍ですが、先生の心意気に応えるべく、お引き受けしました。
朝5時に大阪の住み処を出発。JR環状線、阪急宝塚線、大阪モノレールを乗り継いで大阪国際空港(伊丹空港)へ。ここから飛び立つのは初めて。
定刻通り、7時10分に出発し、宮崎空港到着。ちょうど1時間の空の旅。今回の講習会の開催にご尽力頂きました先生が迎えて下さり、一路車で宮崎県高鍋町へ。1時間弱で講習会の会場である宮崎県立高鍋高等学校に到着しました。
9時50分から「平成24年度感性を育む芸術教育指導力向上事業 指導力向上講習会」を開始。音楽室がいっぱいになるほどたくさんの先生方のご参加を頂きました。先生方の熱心さを感じました。モデル合唱団として高鍋高校音楽部の皆さんが協力してくれました。20数名ながら、声部のバランスが取れた合唱団です。
講習会では発声の後、平成24年度全日本合唱コンクール課題曲のひとつ、G.P.d.パレストリーナの『私は命あるパンである"Ego sum panis vivus"』、第79回(平成24年度)全国学校音楽コンクール高等学校部門課題曲、星野富弘作詞・千原英喜作曲『明日へ続く道』、高鍋高校音楽部が両コンクールで自由曲として歌う大岡信作詞・信長貴富作曲の『春のために』(混声合唱組曲『春のために』より)を取り上げました。
発声では、体を硬直させずに腹筋を使って横隔膜をコントロールして、歌う息を保持する呼吸法に重きを置きました。声を作るのではなく、自分の声を息に乗せ、響き豊かに響かせることが大事。
パレストリーナの『私は命あるパンである"Ego sum panis vivus"』では教会音楽の存在意義とルネサンス時代のポリフォニーの作品の演奏方法に重きを置きました。教会におけるミサなどの祈りの場で、それに集まった信者を楽しませるために教会音楽は生まれました。畏まる必要はまったくありません。ルネサンスの声楽作品を歌う上で言葉は重要です(すべての声楽作品で重要ですが)。歌詞の構成からフレーズを作り、言葉のアクセントから立体感を作り、言葉の意味から強弱や陰影を作る。この曲の歌詞の内容は難しいですが、自分がわかりやすいように、自分なりのイメージを作ればいいと思います。
日本語の作品は言葉の意味が直接わかるためか、すごく生き生きしていました。これもどの声楽作品にも言えることですが、楽譜を読み込み、歌詞を理解し、自らの思いを融合させて、表現にまで高めることが重要。楽譜は完全なものではありません。しかし、作曲者は自分の思いや演奏してほしいことを演奏者に伝えるべく楽譜を作ります。それを読み取って、音楽を組み立てていくこと。音楽は感情表現です。歌は歌詞からもその曲に込められている感情を読み取ることができます。そして、いちばん大事なのは音楽と歌詞を借りて自分の思いを表現し、届けることです。イメージを膨らませて、今の自分にしかできない音楽(合唱)をしてほしい。
もっと時間があったら良かった。もっともっと突っ込んでできたと思います。しかし、偶然とも言えるひょんなことからこの機会を頂き、僕にとって貴重な経験となりました。ご尽力頂きました先生方、ご参加下さいました先生方、モデル合唱団を務めてくれた高鍋高校音楽部の皆さんに心から御礼申し上げます。ありがとうございました。
重ね重ね残念なのは時間がなくて、宮崎を楽しむことができなかったこと…。その楽しみは次回にとっておきます!