大阪府富田林での仕事を終えた後、急いで名古屋に引き返しました。どうしてもこの人のコンサートを聴きたくて。この人には華麗な経歴があり、世界を股に活躍していました。しかし、ひとつの過ちを犯したことによって、多くのものを失いました。
その人の名は
ジョン・健・ヌッツォ。テノール歌手。遅咲きながらも、オペラの殿堂のひとつ、ウィーン国立歌劇場と専属契約を結び、世界の有数の歌劇場の常連となりました。その活躍の模様が
TBSの看板番組のひとつ「
情熱大陸」で放送されると、巷にも一気に人気が高まり、
NHK紅白歌合戦にも出場するほどの、大河ドラマのテーマ音楽を歌うほどの有名テノール歌手となりました。
僕が初めて彼の演奏に接したのは2003年のお正月。その数日前にNHK紅白歌合戦に出場したことは知っていましたが、「どうせコマーシャリズムに乗った、大したことのないテノール歌手だろう」と思っていました。そのテノールが年が明けてすぐに、こちらもNHKのニュイヤーオペラコンサートで歌うというので、「どんなのか聴いてやろう」という不遜な気持ちで彼の演奏に接したのでした。彼がまず歌ったのはW.A.モーツァルトの歌劇『魔笛』のタミーノのアリア「なんと美しい絵姿」。僕は彼の歌に惹き込まれました。モーツァルトにピッタリの歌声。まったく無理のない発声で安定し、声がよく伸びる。そして何よりも抜群の音楽性でした。彼が2曲目に歌ったのはG.プッチーニの歌劇『ラ・ボエーム』からロドルフォのアリア「なんと冷たき手」。これは衝撃的でした。モーツァルトとプッチーニは世界が全く違いますし、求められる技術もまったく違います。それを難なくやりこなし、今度はプッチーニにピッタリの声で歌い上げたのです。これには衝撃を受けました。すごいテノールが登場したと思いました。
2008年のいよいよクリスマス・シーズンに突入する頃、衝撃的なニュースに接することになりました。ジョン・健・ヌッツォ、大麻所持で逮捕。彼の多くのファンはがっかりしたでしょうし、彼を支えてきた音楽関係者は大きく失望したことでしょう。彼の栄光はひとつの罪でもろくも崩れ去りました。
翌年の裁判で執行猶予の付いた有罪判決後が下った後、小さなコンサートはしてはいたものの、かつての華やかなステージからは遠ざかっていたジョン・健・ヌッツォが、再帰をかけたと言ってもいい活動を再開させました。そのひとつが今日、11月30日に開催された「ジョン・健・ヌッツォ〜ポートレート a gift of music〜」です。会場は
名古屋市芸術創造センターのホール。ほっきり言って、ここはかつて世界有数の歌劇場で歌ったことのあるような歌手が歌うような会場ではまったくありません。裏事情をさらけ出すようで申し訳ないのですが、このコンサートのチケットは全然売れていなくて、知り合いからばらまいてくれと何十枚も招待券をもらったのです。罪を犯した者への風当たりは相当強い。しかし、それは仕方のないこと。世の中は厳しい。
富田林から急いで駆けつけ、前半の最後から聴くことができました。自らMCをし、歌う。すごい。素晴らしい。エンターテイナーであり、芸術家です。かつてDJをしていたというだけあってMCは抜群に上手く、聴く者を飽きさせません。そして、何よりも歌が抜群に良い! オペラ・アリアにドイツ歌曲、アメリカ歌曲、日本歌曲、ミュージカルナンバー、カンツォーネ。これら幅広いレパートリーを一夜にして、どれもそれぞれの魅力を引き出し、それぞれの歌に合わせて声を変えて素晴らしく歌い上げました。技術が素晴らしいというより、天才です。あれだけ柔軟に対応できる歌手なんてそうそういません。
そんな彼がなぜ大麻なんかに手を出したのか? われわれ常人にはわからない、世界の第一線に立つ者のプレッシャーがあったのかもしれません。彼の精神の中に弱い部分があったのかもしれません。「なぜ?」はジョン・健・ヌッツォ本人にしかわからない。彼は大きなもの、大事なものをたくさん失いました。しかし、歌は残りました。失敗を乗り越えて、彼は歌うことを通して素晴らしい音楽を繰り広げています。この失敗があって、彼は音楽の素晴らしさ、歌を通して聴く者に感動を与えていく使命を改めて感じたのではないでしょうか。
僕はジョン・健・ヌッツォが再び世界の桧舞台で活躍することを願っています。彼は多くの人に感動を与え、導く力を持っています。今後の活動に注目していきたいと思っています。