午前4時に起床して、朝一番で名古屋へ移動。
それにもかかわらず、昨夜はあるスポーツ・ニュースで取り上げていた、高校生のサッカー選手2人が2週間スペインに留学するというドキュメントを夜中まで見てしまいました。僕はサッカーに疎いので、この2人は全く知りませんが、かなり注目株らしい。それだからこそ、この2人がスペインへのサッカー留学に選ばれた訳ですが。彼らが留学したのはスペインでもトップ・チームのユース。しかし、彼らの前にいくつもの壁が立ちはだかった。言葉の壁、習慣の違いの壁、民族性の違いの壁。最初は言葉が通じないから、交わることができませんでした。いや、交わろうとしなかったと言うほうが正しい。また、スペイン人特有の主張するプレーで、思うように自分のプレーができませんでした。しかし、なぜ自分がサッカーをし、ここにいるのかを理解し始めると、途端に積極的になり、言葉は通じなくとも、身振りや顔の表情でコミュニケイションをとることができるようになり、プレーでも主張できるようになりました。この2人は本当に良い経験をしたと思います。
このドキュメントの合間に日本サッカー界の牽引者であり、キング・カズこと三浦知良選手(いくらサッカーに疎い僕でもこの人は知っていますよ)のインタビューが挟まれました。スペインに留学した高校生と同じ頃、彼は高校を中退して、サッカー王国ブラジルに単身渡りました。彼の前にもいくつもの壁が立ちはだかり、とても苦労したそうです。言葉の壁、習慣の違いの壁、民族性の違いの壁はもちろんのこと、東洋人に対する差別もありました(ラテン系の国では東洋人に対するあからさまな差別がけっこうあります)。夜眠られなかったこともあったそうです。しかし、彼を突き動かしたものは何だったのでしょうか。それは「サッカーをしたい」という一心です。それによって彼はいくつもの壁を乗り越え、差別をはねのけました。そうして、彼はブラジルと一体化したのです。
このドキュメントを見ていて、僕は音楽も同じだと感じました。「音楽に国境はない」とよく言われます。ぼくはそんなことはないと思っています。歴然と国境はあり、いくつもの壁があります。それを乗り越えて理解しようとして初めて、壁を乗り越えることができ、音楽と一体化することができるのです。音楽を通じて違う民族が一体化するのです。
さて、今日は事務仕事をした後、12月中に歌う曲の練習。ジムに行って体を動かし、夜は28日の「
Vox MEA演奏会」で指揮する曲を暗譜するための勉強。
今週の木曜日、11日に有名な日本の唱歌と童謡を歌うのですが、ひとつひとつを丁寧に言葉を噛み締め、詞の情景を想像し、その曲のできた背景を思いながら練習していると、何気ない旋律の裏に大きなドラマがあるのをひしひしと感じました。欧米に追いつけ追い越せ、日本の新しい音楽を確立しよう、日本の歌を生み出そう。先人たちの多大な努力と尽力がこれらの歌ににじみ出ています。3日の本番の時にもそう思いましたが、「歌はその時代を映す鏡」ですね。
28日に様々な時代の"Ave Maria"を指揮します。9世紀から10世紀に編纂された『グレゴリオ聖歌』に始まり、ルネサンス、ロマン派、20世紀初頭を経て、現在に至ります。時代もさることながら、国も様々です。それぞれの曲ができた背景を想像しながら、楽譜を読み込んでいくのは楽しいものです。タイムトリップしたような感覚。また、それぞれの作品に時代や国を超えた作曲者の個性を感じます。本番ではそういうのを披露できたらと思っています。
今音楽をやっていて、本当に楽しいです。今までで最大の音楽の楽しさを感じています。一方で、僕を取り巻く社会に目を向けると、暗い気持ちになります。幸せな僕が存在する一方、非業の最期を遂げた人がいて、大きな苦しみを抱えた人もいる。そのギャップにいつも苦しみ、「なぜ僕は音楽をしているのか」「音楽とは一体何か」という念がいつも僕の内にあります。しかし、それによって今落ち込んではいないのです。僕と社会とのギャップや苦しみが僕を前に押し進めているのです。僕の中で渦巻いている表出できない思い、声にならない叫びがあります。いつかそれを具体化したいと強く思っています。そんな思いを抱きながら、今日々を生きています。
今日はダラダラと脈絡なく書いてしまいました。人と出会い、色々な出来事に接し、刺激を受けて、いつも以上に考え、思いが渦巻いています。今多感なお年頃(笑)。でも、年齢を重ねる毎に、自分の中で凝り固まっていたものがほぐれていくのを感じるのは確か。それによって見えなかったものが見えるようになり、視野が広がりつつあります。まだまだ青二才。これから無茶しようかと密かに思っていたりして(笑)。