8月6日。
広島に原爆が投下された日である。
それから今日でちょうど62年が経った。
ちょうど1年前の2006年8月6日(日)、ミュージック・ステーション主催、中村貴志プロデュース・シリーズ 日本のうた大全「夏の思い出」が開催された。
ミュージック・ステーション代表の伊藤直樹氏(現在は名古屋に新しくできた、今注目の宗次ホールのスタッフとして、演奏家たちのサポートをしている)から8月6日に会場が取れたと伺った時、平和を訴える内容にしようと即座に思った。そして、大木正夫作曲のグランド・カンタータ「人間を帰せ」を取り上げようと思った。本番では第1章「八月六日」「死」を若い人たちと歌った。インパクトを与えた演奏会だったと今でも自負している。
グランド・カンタータ「人間を帰せ」は、自らが広島の原爆の被爆者であり、そしてその悲惨さを詩作で訴え続けた詩人、峠三吉の代表作「原爆詩集」に、社会派作曲家として名を成していた大木正夫が1960年から1963年にかけて作曲した作品である。
この詩集を読んだ時、あまりの生々しさ、恐ろしさに戦慄した。長いがその詩をひとつ記す。
八月六日
あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
圧しつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え
渦巻くきいろい煙がうすれると
ビルディングは裂け、橋は崩れ
満員電車はそのまま焦げ
涯しない瓦礫と燃えさしの堆積であった
広島
やがてボロ切れのような皮膚を垂れた
両手を胸に
くずれた脳漿を踏み
焼け焦げた布を腰にまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列
石地蔵のように散乱した練兵場の屍体
つながれた筏へ這いより折り重なった河岸の群も
灼けつく日ざしの下でしだいに屍体とかわり
夕空をつく火光の中に
下敷きのまま生きていた母や弟の町のあたりも焼けうつり
兵器廠の床の糞尿のうえに
のがれ横たわった女学生らの
太鼓腹の、片目つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の
誰が誰とも分らぬ一群の上に朝日がさせば
すでに動くものもなく
異臭のよどんだなかで
金タライにとぶ蝿の羽音だけ
三十万の全市をしめた
あの静寂が忘れえようか
その静けさの中で
帰らなかった妻や子のしろい眼窩が
俺たちの心魂をたち割って
込めた願いを
忘れえようか!
「原爆詩集」の詩に作曲された大木正夫の「人間をかえせ」という作品があることを知り、いつか必ず取り上げたい、取り上げなければならないと感じた。
この作品は一代センセーションを巻き起こしたものの、その後は忘れ去られてしまった。しかし、未だ戦争が絶えず、未だ「核の脅威」のなくならない現在に、唯一の被爆国民であるわれわれがこの作品を歌う意義は十分にあった。原爆投下、終戦から60年以上が経ち、それらを経験した方々が減少する中、原爆の悲惨さ、戦争の恐ろしさを知らない若い世代がこの曲を通してそれらを深く知り、実感できたことは良かったと思う。
しかし、忘れてはいけない。風化させてはいけない。戦争がなくなるまで訴えていかなければならない。
現在、僕が常任指揮者を務めている混声合唱団”スコラ カントールム ナゴヤ”は、12月16日に行われる創立10周年記念第5回定期演奏会に向けて、大木惇夫作詩・佐藤眞作曲のカンタータ「土の歌」に取り組んでいる。
その第3楽章の詩はこうだ。
死の灰
世界は絶えて滅ぶかと
生きとし生けるもの皆の
悲しみの極まるところ
死の灰の怖れはつづく
文明の不安よ
科学の恥辱よ
人知の愚かさよ
ヒロシマの また長崎の
地の下に泣く
いけにえの霊を偲べば
日月は雲におおわれ
心は冥府の路をさまよう
戦争を生み出してしまった文明。核兵器を生み出してしまった科学、そして人知。無念にもその愚かさに犠牲となった先人たちの叫びを代弁するために、僕は今日も音楽をする。
そして、今こそ科学と人知を平和のために結集し、争いのない新たな文明を作ろう。人類はそれができると僕は信じている。それを訴えるために、僕は今日も音楽する。