宗近藤生・所感雑感
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フリージャーナリストとして、「図書新聞」などに執筆。現在、年来の小説に着手中。著書に『リレーエッセイ医学の道』(共著)がある。
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2020/6/13
「『超高齢社会の乗り越え方』」
「図書新聞」書評
安立清史 著『超高齢社会の乗り越え方
――日本の介護福祉は成功か失敗か』
(弦書房刊・20.3.20・A5判・200頁・本体1800円)
思い起こせば、一九九七年に介護保険法が制定され、二〇〇〇年から公的介護保険がはじまり、新たに様々な介護・ケア施設がつくられていった時、施設自体の有様と従事者の仕事の内実に齟齬があり、高齢社会に向かっていく、この国の行方が不安視されたことを、わたしなら忘れることができない。その後の情況も、それほど改変されたとも思えず、むしろ悲惨な事件が多発しているといっていい。わたしは、初めに税収ありきで、高齢社会への設計・ビジョンといったものは、極端ないい方をするならば、空虚なものだったと思っている。その後、様々な改変を行われながらも、入所者たちへの配慮といった細やかなケアの仕組みはますます希薄になり、誰の為、何のための介護とケアなのかといいたい思いを抑えることができないでいる。
本書の著者は次のように述べていく。
「少子化や高齢化が、ここまで問題にされるのは、日本社会のあり方そのものにも問題がありそうです。」「「超高齢社会」という言葉は社会に「年齢差別」という毒を浸透させています。すでに社会の大半は「エイジズム(Ageism)」という差別感覚に知らぬ間に「感染」していると言っても過言ではありません。」「介護保険は「高齢社会における介護の社会化」が目標だった。(略)事業者は介護保険改正のたびに介護報酬の切り下げに振り回され、事務処理は煩雑になるばかりで制度は複雑怪奇となり、今や人間が理解できる範囲をこえたと言われるほどだ。」
社会学(厳密にいえば、共生社会学、福祉社会学)者である著者の見解は、さらに明快に展開されていく。「介護」とは、「「介護保険」という制度が作った言葉」であるとして、「宅老所よりあい」や「よりあいの森」を三〇年近く運営してきた村瀬孝生の著書を援用しながら著者は鮮鋭に言葉を紡いでいく。「利用者にあわせることをせずに、ケアプランや事業所の都合や計画に合わせて、利用者をケアしようとすることを」否定する。「「介護者という立場」からの介護」は、「上から目線で介護プランを利用者に押しつけていくものになりがちだ」から、「介護者にならない」。そして、「何もしない」ということだという。これは、「じっと見ること、いっしょにいること、なにかをするのでなく、利用者本人に沿うこと」だと述べていく。添うではなく、沿うということに大きな意味がある。そして、著者は次のようにわたしたちを誘っていく。
「相手の意向や状態をみずにつくられたプランを実施するのではなく、相手を具体的な人として見つめ、その日のその人の意向や状態に沿いながら対応していくこと。それは、介護の原点に立ち戻ることであり、そこから個々の人に沿ったケアが自ずと生まれてくるはずだ。」
その通りだと思う。介護施設は、病院とは違うのだ。例えば、認知症という病名を付して利用者を一括りにしてはならない。一人一人が違う「個」という有様であることを忘れてはならないからだ。
さらに、著者は、小竹雅子の著書に触れながら、介護保険の問題点を析出していく。「介護報酬の決め方」を、「複雑怪奇なものに」して、「事業者を混乱させ、介護職の離職を増大させ、制度の行く先を五里霧中にさせている」と断じていく。「全体を把握するのは中央のシステムだけ」だと著者は述べているが、それは、介護保険も税収のひとつだという考えが中央政府のなかではじめからあったからだといっていい。真摯な論述から離れてしまうかもしれないが、介護保険の収入がすべて介護関連に還元されるとは限らないということがわたしの思いにはある。
本書では、本論を挟むように、「序」と「結」が置かれている。そして、どちらにも、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」と、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」という二つの物語作品を取り上げられている。「結」では、次のように著者が述べていることに、わたしもまた、同意したい。以下、引いてみよう。
「この世界に唯一の「正解」や「解決」はないかもしれない。でも、この世界には無数の「解」がある。小さいかもしれない。不十分かもしれないが、無数の解がある。それに拍手喝采してくれる人もいる。そう感じさせてくれるからだと思います。超高齢社会の福祉や介護や社会保障に、唯一の正しい道などありえません。そうした中で、通常の道とは逆の、とても困難な選択をしても、きっとそれを理解して「大当たり!」と大喜びしてくれる人がいるのだ。そう信じさせてくれるのです。」
わたしたちは、個々それぞれという多様性のなかにいるから、生き方もそれぞれみな違うのだ。それを一括りにしようと考えた時、様々な破綻がやってくるといっていい。だから「唯一の正しい道」という固定化した考え方は捨てるべきなのだ。
わたしもまた、「無数の「解」」を求めていくことにしよう。
(「図書新聞」20.6.13号)
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投稿者: munechika
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