
はいっ!零戦一家第3弾です。
今回は「二号零戦」こと、零戦32型・A6M3です(ハセガワ、1/72)
零戦21型のエンジンを栄12型から栄21型へ換装、
両翼端を50cmづつ切り詰め、角型に整形したのが最も目立つ外見上の差異です。
また、エンジンカウリングの形状も大型で丸みを帯びた形状になっています。
この機体「タイ-184」は、戦力立て直しの為に再編された台南空(俗に「2代目台南空」と呼ばれる。後に251空と改名)
谷水竹雄飛曹長(当時)の機体です。
一説には、谷水飛曹長の機体は「タイ−180」で、文字色は黄色であったと言う話が有ります。
ユニークなのは、胴体側面に書かれたこの機体の初陣の戦歴。
そして、濃緑黒色と呼ばれる上面色の塗り分けラインです。
この「波型塗り分け」は、練習機に多く見られる塗り分け方で、後の52型の塗り分け方とは全く違います。
(また、52型は三菱生産分と中島生産分で塗り分け方が違う)
343機と極少数しか生産されていない(生産は全て三菱)32型は、全て完成時は「全面飴色塗装」であったので、この上面色は恐らく現地で塗られたのでしょう。

外からは見えないのですが、実は発動機取付架(防火壁)が後退しています。
その為、胴体内の燃料タンクが小さくなってしまい、より高出力になった栄21型の燃費と合わせて
航続距離がとても短くなってしまいました。
(と言うか、11〜21型の航続距離の長さがケタ外れなのですが)
実はこの燃費悪化、翼端の角型整形も原因でした。
当時、零戦の設計に携わった曾根嘉年氏(主任の堀越二郎氏の後輩で、堀越氏が病気療養中には代行を務めた。後に三菱重工社長就任)
のノートには、翼端形状がその原因の1つで有る事が改善項目としてメモされています。
最高速の増加を狙った翼端の短縮(同時に横転性も良化)とエンジン換装ですが、時期は折りしも南方の侵攻作戦の展開中。
前線の部隊や搭乗員からは悪評紛々でした・・・

真上から見ると、その翼端形状の差が良く判ります。
米軍が21型や後に登場する22型・52型を「ZEKE(ジーク)」と呼んだのに対し
32型を新型機と勘違いし「HAMP(ハンプ)」と別のコードネームを付けたのも仕方のない事でしょう。

・・・うーん、背景がなぁ・・・(苦笑)
実際には、新旧台南空の機体が並ぶ事は有り得ないのですが、前線ではこのように
新型機と旧型機が同時に運用されている事も珍しくありませんでした。
ただでさえ面倒の多い旧日本軍の機材・・・整備員の苦労は大変な物だったでしょう。
しかし、それでも整備員達は機体の整備に精魂を込めたのです。
自分の整備した機体と、それに乗る搭乗員の生還を願って・・・