今年を振り返るに最もデカイ出来事と言えば新年早々の緊急入院2連発だったヨネ。
右椎骨動脈解離で緊急搬送されるも命を落とすこともなく幸運にも後遺症も出ずに経過観察での
入院中には色々と思う事はあっても正直なところ間一髪だった実感は薄く多少の余裕はあったカナ?
ドッチかと言えば退院した日の夜に七転八倒の痛みで病院にトンボ返りして慌ただしく緊急手術した
十二指腸穿孔での約1ヶ月に渡る入院生活の方が生死に関わらなくても考える事は多かったノネ。
集中治療室での日々はテレビやラジオもなく看護師さんの介助がなければ動くことも出来ない状態で
退屈を感じる余裕すらなく、ただ社会復帰に向けて今の自分に出来る事は何かを考え続けてたカナ。
一般病棟に移り不自由も減り出してからは自らのホビーライフについて考える余裕めいたモノも出て
退院間近の頃には新たな挑戦への意気込み?って言うかワクワク感なんてのも抱いけてたのヨネ^^
退院後の2月からは随分と生き急いでるんじゃない感?を漂わせちゃう位の勢いで新たなゲームや
今までは手を出してなかった未翻訳のゲームシステムであろうと一度は手放したモノも含めて次々と
準備を始めて遊ぼうと考えたのは新たな出逢いや沢山の仲間と交わる機会をより多く求めた結果。
そう言う意味では夏頃まで悪戦苦闘しながらも何かと順調にホビーライフは彩りを取り戻してたカナ?
日本語テキストがあってもフォローが途切れて結局は未翻訳ルールを使うハメになったりもしたけど
そう考えると涙が出ちゃうほど嬉しかった2月の「お帰りなさいイベント」で遊んだ日本語が当たり前の
国産ミニチュアボードゲームが今でも愉しくって仕方ないのは「判って遊べる嬉しさ」なんだろうナァ。
なのに急に色褪せてしまったのはミニチュア造形とかシステムとかペイントとは無縁なれど大切な事を
自分なりに語り続けて来たリアクションの大半が社交辞令の域を出てなかったと痛感したからデスナ。
個人的な感覚なので他者に強要すべき話ではないけれど、ミニチュアゲームを愉しんで来れた要因は
数多くの出逢いの中で交わされた絆や連帯感であったりホビーの空気感を肌で感じれる場所ナノネ。
まさしく繰言なれど髭親父は常々から「総合ホビー」の愉しさを語り続けて来てるのは周知の事だし
縁あって顔馴染みになったり仲間と呼べる存在や古馴染み、戦友と呼べる友を得られたのは何故?
それは「他人事ではなく我事」としてコミュニティー内の問題に交わり言葉を尽くして来たからだし
不特定多数の様々な年齢や思考のミニチュアゲーム初見の人でもワクワクする空気感が溢れる
誰もが集い語らい遊べる場所を大切にして足繁く通い絡みつつ微力ながらも応援して来たからカナ。
まだ経験が浅く手探りの初心者にイキナリ凝った造形やマニアックな遊び方や提示して巻き込むのは
個人的には好きじゃないし、遊び続けた先にある将来の可能性を提示するのは大賛成なんだけど
初心の頃に味わえる面白みとしての悪戦苦闘や四苦八苦をスポイルしたり経験してもいない事を
エアプするだけの頭デッカチ量産工場の如き場所よりホビーの入口に立っていたかったんだけどネ。
集団におけるマナーとかアドバイスは相対する相手の経験や性格的傾向を推し図った上で根気強くが
髭親父のスタイルだったのは「遊ぶ仲間」や「遊ぶ場所」を失くしたり奪われたりする悲しさ恐ろしさを
何度も目の当たりにして来たし覚悟の上とはいえ物申して身を引いたり出禁を喰らった経験からデス。
いやはや、ミニチュアゲーマー的に隠居宣言をしてからは未だ気に掛かる話がテンコ盛りとは言え
差し出口を挟まず勝手知ったる古馴染みや戦友と月に1回程度でもミニチュアゲームを愉しんでマス。
今年の初めに語った目標、退院してから掲げた目標、隠居宣言後のホビーライフ。
たった1年の間に色々とあったけど、まぁ生きていてこその繰言だし命あっての物種って事デスナ^^