あなたはこどもの頃の気持ちを覚えているだろうか。
僕は小学4年生くらいの頃、何をしたかは全く覚えていないものの先生に物凄く怒られた記憶がある。
ただ当時の僕にとってそれはなぜ怒られたのか理解することが出来ない内容であったのは間違いない。
今の僕はその感情を「理不尽」の一言で表現するが、高田少年にとっては何事にも言い表せないもやもやとした感情だった。
なんせ大人になった今もその感情を抱いたことを覚えているほどである。相当嫌な思いをしたに違いない。
そして小学生時代のこの瞬間の僕は「こどもの気持ちを忘れない大人になる!」なんて心に決めた。
その事まではっきりと覚えている。
時は過ぎて僕は高田少年は大人になった。
当時の僕が胸に誓った、「こどもの気持ちを忘れない大人」になっているかと聞かれると、
残念ながらこどもの頃の殆どの気持ちは忘れてる。
今、理解し難い事で怒られたところで、「理不尽な目にあったわ(笑)」なんて笑い飛ばすことが出来るし、あれだけ嫌だった勉強も自分のためにと進んでやっている。
目の前に勉強嫌いな小学生が「勉強なんて将来なんの役にたつの?」なんて聞かれたら、
色々な理由を挙げて「勉強はしておいたほうがいい」というアドバイスをするのだと思う。
当たり前の事なのかもしれないが、僕も大人になってこどもの気持ちを忘れてしまった。
最近その理由を考えていたら「なんで?」という疑問を抱く頻度が格段に減ったからだと気が付いた。
こどもの頃の自分を思い返してみると、毎日何十回も、時にはそれ以上、
「なんで?」
という感情が湧いていたのだ。
その「なんで?」を解決する一番手軽な手段は周りの大人たちに聞く事である。
ただ大人たちは忙しくて、常識とされていることについて質問されてもなかなか真剣に取り合うことが出来ない。
なぜなら大人はそれを知識として当然な事だと思っていたり、それはその専門家、例えば学者たちが解き明かした絶対的な答えがあると思っているからだ。
さらに今の時代にはインターネットから必要な時だけ知識を引っ張ってくることは大人の誰もが出来る。
そんな事で疑問を解決してしまう大人たちの答えやアドバイスはこどもには響かない。
なぜならこどもは自分の目で見たり、手に取ったりしなければその疑問が解決したことにならないからだ。
そんなことをふと考えて、「大人になるってなんか嫌な感じだなぁ」とアンニュイな感情になったのだが、
僕にもひとつだけ未だにこどものような感情を当時のまま保ち続け、行っていることがあった。
いきものを追いかけるという行為である
「なんで?」という感情が今も湧きつづけ、その疑問は自分の目で見たり手で取ったりしないと解決しない。
ほとんどの疑問をインターネットという世界中の人々の頭脳をアウトプットした、知のクラウドから引っ張ってくるだけで解決してしまう僕がいきものに関する疑問だけはそのまま信じて納得することが出来ないのである。
やはりいきものが持つ偶然性、時には常識を覆してしまうような神秘性がそうさせてしまうのではないかと思う。
昨年の夏、マサと夢中になって毎週のように通っていたマッドクラブ獲り。
都内から日帰りで通える範囲にマッドクラブがいる。
なんで?という感情が沸いた。
マッドクラブを知らない方に軽く説明すると、日本名はノコギリガザミ。1kgを超えるサイズは珍しくない大きなカニである。爪がものすごくデカい。
アミメノコゴリガザミ、アカテノコギリガザミ、トゲノコギリガザミの3種類を日本で見ることが出来る。
基本的には南方に生息するカニで、東南アジアでは高級食材として食べられている。
僕ははじめてマレーシアでこのカニの旨さに感動してから、以降東南アジアに出かける度に食べていたカニであるし、マサもシンガポールに住んでた時代からご馳走として認識していたという。もちろん兄であるKIMIも同じである。
そんな南方に生息域をもつカニであるから基本的に日本では沖縄や高知県など暖かい地方に生息が限られている。浜名湖では「ドウマンガニ」というブランドで捕獲されているが、それでも関西寄りの東海である。
そんなカニが関東から手の届く範囲に生息しているのだから疑問を抱かずにいられなかった。そしてそれを解決するには自分の手で確かめるしかなかった。
その結果、毎週のようにカニを追いかけていたら夏が終わってしまっていたのである。
結果、このカニの命もここで終わってしまってたのだが...
こどもの頃の気持ちをほとんど忘れてしまった僕も、
こどもの頃に最も好きだった「いきもの探し」においてその時の気持ちを持ち続けている。
そんなことに気が付くことが出来た昨年のカニ獲りであった。
もちろん今年もカニ獲りにはいく。
このカニにまつわる、まだまだ解決していない「なんで?」は沢山あるのだ。

0