2010/3/10

「ところで景気はどお?」  いい話
出張で取引先を廻るたびに私はお客様に良く、
このように尋ねられます。 特に各地を廻る私だけに
お客様にとっては他がどうなのか気になるのでしょう。

では率直申します。 先ず、やはり都市部の落ち込みは
激しいです。 それほど、これまで都市部は良すぎた
とも言い替えられます。対して地方も厳しいのですが、
都市部ほど大きくはありません。これら落差の問題かと。

次いで、個々に見比べると建設・土木・仮枠など、
ビル・マンション工事や帳場等の大型の現場に携わる
者達は厳しい状況が続いています。ハウスメーカーの
着工件数の激減や公共工事の削減で更なる価格競争が
続いており、一部では仕事がない状態にも達している。
この年度末を考えると過去には考えられない状況です。

対して大きな利益を出しているとは言い切れないが、
忙しくしているもの面々もいる。

彼らに共通しているのが「こだわり」の部分。

例えば技にこだわる。道具にこだわる。
顧客満足にこだわる。 など等…

それが町場の現場です。
彼らは左官としての腕を売ってきた。数々の現場を
こなし、自然に身に付けた腕(技)は今の時代、
如何なる応用にも対応出来るのでやたら重宝されている。

この十年間は残念なことに左官業界は若手の育成が
滞ったと思える。 加えて日本の高度成長期を支えた
ベテランも後数年で大幅に激減すると予測それます。

今、40代、30代を中心に左官に携わる者達はしっかりと
自分の目指す道を見つけて欲しい。

ただ不景気と嘆くのでなく。 しっかりとした
「こだわり」がきっと明日を切り開いてくれます。
言い換えれば、これから本当のチャンスが訪れます。



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タグ: 景気

2010/2/3

左官は奥深いものです。  いい話
まずは久しぶりの書き込みとなり、すみません。
何度も書き込むネタはありましたが、他に仕事が多く
なかなか手が回りませんでした。
改めて、お詫び申し上げます。

今年に入り、色々なことで左官職人と会い話す機会が
多々ありました。彼ら個々の思いは様々ですが、
中で気になる言葉を2人の職人さんから2度聞く機会が
ありました。それは時に最後の仕上げの際、鏝を
押えることに恐怖を覚えると言う言葉だった。

彼らは下地作りから中塗と最高の技術と熱意を注ぎ込む、
そして迎えた最後の仕上げ、何度、行って来ても
この仕上げで納得が行かなければ、それは満足の行かない
ものとなってしまう。 その恐怖心との戦いが、彼らに
共通する「怯え」を味合わせているようだ。

これは職人としての情熱だが、時に自分自身を破壊しかねない
ストイックなものだ。 そして、彼らは同じ言葉を付け加えた。

その時に最適な素材を選び、施工に情熱を注ぐ度、単価は
不釣合いになりかねません。 しかし、お施主さんの
笑顔がその全てを清算してくれています。

恐ろしきかな、深き左官職人たち。

彼らの情熱が生きている限り、左官は無敵だと思います。
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タグ: 左官

2009/7/7

これも私にとってはいい話  いい話
出張時に出くわした良い話です。
いつものように取引先に向う最中のことでした。
国道から、わき道に入り、側道に侵入しようとした時でした。
通りは狭い2車線。 左側には直進を目指す大型トラック。
その巨体に並列する私の視界は左側に対して死角となっていました。
そして、私はその右側で右折の準備をしていたのです。

しばらくして信号は青に・・・ 私はアクセルを踏み込み、
車を走らせようとしました。その時、左側に立つ大型トラックの
ドライバーの手が窓から伸びたのです。
一瞬、私に対し、静止を促しているのが読み取れました。
信号はすでに青でしたが、私は彼の制止に従い、停止し
待っていると、トラックの影から現れたのは年老いた老夫人の
姿でした。 ご夫人は青信号を確認し、横断歩道を渡ったので
しょう。 しかし、老いた足取りは遅く・・・そして赤信号に。

もし、トラックドライバーの機転な行動がなければ私は大惨事の
当事者になっていたかも知れません。
本当に人生を救ってくれた行動と感謝しております。

名も知らねども、人の好意に胸打たれ、
  彼の手の大きさに人の価値を感じる。 「職人魂」
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2009/3/8

父が作ってくれた手弁当  いい話
ラジオのコーナーに投稿された話に思わず感動しましたので
ここで、ご紹介させて頂きます。
ある年配のご夫人による投稿です。それは彼女の幼き頃の
胸詰る、思い出話でした。
まだ学生だった彼女の母が病に倒れ、父と彼女、二人きりの
数日のお話です。
いつものように登校する朝、父は手作りの弁当を持たせて
くれました。 そして昼休み、彼女が開いた弁当には沢山の
ご飯の真ん中に梅干が一つだけの日の丸弁当でした。
それを見た彼女は恥かしさのあまり、弁当のフタを閉じ、
先生や同級生にも「体調が悪いと」嘘を付き、弁当に手を
付けることもなく、昼食を終えました。
そして帰宅した彼女は手付かずの弁当を父に差出、「ごめん
今日、お腹の具合が悪くって、弁当食べれなかったの」と
嘘を付いた。
それを聞いた父は「そうか、それは大変だったな」
「ほら!上手い飯が炊き上がったぞ!無理せんでいいから
腹一杯食えよ」「お父さんはな、お前の残した、この弁当
食べるから」お昼を抜いた彼女は心の底で涙し、父の炊いた
ご飯に貪りついた。
父は山へ登る仕事をしています。
父は私に作ってくれた弁当と同じものを持ち、いつも山に
登っていました。
今、思い出しても、あの日のご飯が本当に懐かしく
美味しかったと思います。 私と父の大切な思い出です。

          2009/3/8[ありがとう浜村淳]より 

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2009/1/17

親父の弁当  いい話
故・樋口清之教授(國學院大學)の随筆に戦前の家庭の姿、親子の生き様を
語った一説があります。それは彼の友人で、よく貧乏に耐えて勉学に
ひたむきに努めた人のお話でした。
「なぜ、そんなに頑張れるのか」樋口氏がその友人に尋ねると彼はその
動機を「おやじの弁当」だという。ある日のこと、父の弁当と取り違えて
学校へ持っていってしまった。彼曰く、「おやじの弁当」は軽く、俺の
弁当は重かった。おやじの弁当箱はご飯が半分で、自分のにはいっぱい
入っており、「おやじの弁当」のおかずは味噌がご飯のうえに載せてあった
だけなのに、自分のにはメザシが入っていたことを、間違えて始めて知った。
父子の弁当の内容を知っている両親は一切黙して語らず。
肉体労働をしている親が子どもの分量の半分で、おかずの無い弁当を
持ってゆく。これを知った瞬間、「子を思う親の真情(愛情)」が分かり、
胸つまり、涙あふれ、その弁当は食べられなかった。
その感動が涙になり、両親を裏切るまいと心に誓った。』と言う。
今の時代では「こんなにもして上げてるのに」と恩義を着せる親たちが
多くなった。子は親の背を見ています。
言葉に出さなくても頑張っている姿はきっと届いているはずです。
                        月刊誌「致知」新年号
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