2011/3/31

震災後の資材不足  気になる記事
 もうすでにご存じでしょうが、震災直後から
全国的な建築資材不足が大きな問題として工務店、
ハウスメーカー、ゼネコンと業界として深刻な
問題となっております。

この現象は被災地周辺や関東圏に留まらず、直後から
全国に広まっており、大工や電工、鉄鋼、水道等
多方面に渡っているのが過去にもない特殊な状況で、

まるど一時期、問題となった建築確認申請の時の様に
仕事があっても手が付けられない、職人にとっては
まさにやりきれない状況が再び私たちを襲っています。

直接的な影響は被災地にこれら関連工場が多かった。
加えて4月の決算前でもあり、多くの商社が在庫を
軽減していたこと、そして政府の指導により直接的に
被災地優先物資としても確保されているのも要因と
推測されております。

現在、生産可能なメーカーはフル生産体制に入っては
おりますが、被災地とは程遠い現場にとっては
元気な街の経済すら落ち込んでしまうと国の政策に
懸念を抱いている方々も少なくないようです。

また、そこまで政府が被災地復興に並々ならぬ
決意でいるのも今回ばかりは、これら資材不足が
建築関連に関わらず、日本の輸出産業の柱とも言える
自動車や家電産業にも影響が及んでいるからと推測
されます。 事実、震災後の神戸が予想を遥かに
上回る速度で復興を遂げた要因としては多くの企業が
自力再建を行い、政府の後押しもライフラインの確保、
そして民間へとスムーズに進められたことが挙げれらます。

合板は約3か月後には市場にもどるとの予測もあり、
資材不足も何れは軽減されると推測されておりますが、
加えて世界的にも原材料費の高騰が不安視されているので
価格の高騰は無視できない新たな不安要因であるのも事実
です。また、復興に関しては政府からは既に大手ゼネコンに
協力要請がなされております。加えて各団体にも彼らに
協力するようにと打診もなされております。

先発隊とも言える解体業らは既にゼネコンを通じ、
現地で作業を行っており、合わせてライフラインの確保、
そして一気に企業の再建。 銀行関連の融資を緩和し、
民間の復興と繋がって行くと観測します。

何れにしても、これからの建設はある意味、国の威信が
掛かっております。 今年に入りGDPで中国に抜かれ、
家電でも韓国に抜かれ…
国内では雇用問題等、色々抱えていますが、今こそ、
「負けてたまるか」精神で一致団結すれば、GDPは
下がっても、内需は間違いなく加速します。

ひと時、不安もありますが、ここは一つ正念場と考え、
福島周辺を危険地帯などとの飽きれた思考を打ち消し、
「なめるな日本」を思いに建築に関わる皆の力で
きっと再建させましょう。






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タグ: 建設 職人 技能

2011/3/17

この一週間の感想と、これから…  
 予定をしていた福島行きが中止となり、土曜日はホント久しぶりに
家内と二人で夕食の買い出しにと、近くのスーパーへ出かけた。
すると突然、携帯が鳴り響くと、東京の取引先様から、ヘルメットと
電池の注文が舞い込んで来た。 メモも無かったのでそれ以上の
注文は月曜日に再度確認させて頂くことを伝え電話を切らせて頂いた。

翌日曜日、今度は横浜のお客様からヘルメットの在庫状況を尋ねられ。
そして内心、次にやるべきことのいくつかが、思いを馳せていく。

月曜日、いつもより早く目覚めた私は会社へ出向くと案の定、多くの
FAXに従来の工具とは異なる商品の発注が山の様に受信されていた。

ヘルメット・電池・ライト・ガソリン携行缶・ガスボンベ・発電機
等々である。すぐさま私は先ず、一人に電池の確保を指示、合わせて
土のう袋とブルーシートの発注を急がせた。これは阪神淡路大震災での
経験がそうさせた。 次にヘルメット、ライト…

発電機に関してはほぼメーカー在庫のみが中心となることが予測できる
ので、これはあきらることにした。 続いて社員を総動員し、商品の
確保へと向かわせた。 この状況下では電話やFAXでの発注は
むしろ混乱を招き易く、メーカーも対応に苦慮するのが予測できた
からだ。そこで当社ではメーカーへ直接出向き、営業を開始すると
同時に倉庫から直接商品を積み込むことで在庫確保に務めることにした。

案の定、午後を過ぎた頃から殆どの流通がシャットアウト。
追加発注は勿論、納期確認も不可能な状況になっていた。

ここまで読み進めると、いかにも商品を買占め、利益を得ようと
しているのかと思われるが、本当の仕事はここからです。

これが卸問屋の心意気! 一人でも多くの人が喜び、そしてその先の
お客様の笑顔が「思い浮かぶ」本当の商売の見せどころです。

注文の多くが「あるだけ欲しい」と、あっても私たちは出来る限り
均一に振り分けました。 確かに早い者勝ちとすれば簡単だし、
ましてや20個入り1箱をそのまま送る方が荷作りの面倒も無く、
送料も安く上がる。 それをわざわざバラして、更に注文を頂いて
いないお客様まで被災地に近いお客様から順に連絡を取り、商品を
お届けすることを約束させて頂いた。

事実、後に運送会社より荷受けお断りとされた福島県向けの商品には
電池・ガス等、今も問い合わせを受け続けている商品がその出荷を
待機させている。 もしかすれば便が復活した頃にはキャンセル
されるかも知れないが、これもお客様との約束であり、これが
私の心情である。

そして水曜日には上記の在庫もほぼ底を着いていた。
木曜に入ると、今度は建材店から土のう袋、ブルーシートの発注が
相次いだ。 集めた情報から分析してみると、栃木あたりから
先ず、在庫が底を着き始め、都内では品薄傾向が始まりつつあった。

翌金曜日には、その影響が関西にも及び、各輸入商社も受注を
さばき切れず、新たな受注を断っているのが現状となっていた。
                          (続く)
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2011/3/15

震災を考える。  
「東日本大地震」それは突然やってきた。
日々の作業に追われていた金曜の3時過ぎ、先に東京入りしていた同僚から
携帯が鳴った。 「今、凄い地震が発生しています。」
正直、その一報ですら、こんな大きな災害に繋がるとは考えもしなかった。

実は翌日の早朝、飛行機で福島県へ向かい、昼から展示会に参加する予定を
していたからだ。 先の同僚は車で向かい、現地で落ち合う約束をしていた。

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TVのニュースは次第に想像を絶する映像を映し出して行く、更に千葉での
コンビナートでの火災、まさに空前絶後の異常事態が始まるのかと、内心
大きな不安と恐怖がよぎり始めていた。 実はこの思いを以前にイヤと言う
ほど経験している。 そう阪神淡路大震災の時である。

あの時、私は仕事で地元ではなく東京にいた。
早朝6時過ぎTVは地震の発生と、まだ少ない映像を繰り返し流していた。
当初は東灘、阪神地域と報道されていたが、情報が集まるにつれ、被災地は
拡大、被害も予想を超えるものとなって行った。

家族や両親、親友とも一緒に居てやれないジレンマ、ましてや帰路も絶たれ、
まさに放心状態にあった。 その後、同僚が日本海岸沿いを走り、私を
迎えに来てくれ、半月後にようやく帰宅することが出来た。

すぐさま私は1週間の休みをもらい両親・そして兄弟、親友の元へと向かった。

親友が避難している学校でも一夜を過ごした。 実際のガレキの山を見ると
映像では計り知れない恐怖が胸に突き刺さる。

灯の消えた夜の街は異様な静けさを感じ、正常な感情にも乱れが生じてくる。

例えば、自衛隊やレスキュー、ボランティアの皆さんには心から感謝するが、
対して、ヘルメットにスーツ姿の報道や研究機関からの調査員などには怒りとも
思える嫌悪感を感じていた。多くの取り巻き(視感です)を従え、
断りもなく、倒壊した住宅の屋根に登り調査する。  見晴らしが良いからと
勝手に団地の高層階に入り、カメラを回すカメラマンには住民からも罵声が
投げかけれられていた。

そして、最大の痛手となったのが震災から1年後、多少の復興が見え始めた頃、
被災した父が、その記憶を全て失っていたことだった。

「震災の記憶がまったくない」 当初は「忘れた方が良い」と安易に思って
いたがその後父の痴呆は進行、最後は寝たきりとなり、その父も昨年他界した。

私は思う。 父は戦場に従軍している。
日本が焼野原となった終戦時、父は30代だった。

必死で働き家族を養い、そんな多くの人々の努力によって日本は戦後復興を
成し遂げた。 しかし、すでに気力を使い果たしていた高齢の父にとって、
再び目にするガレキの街はまさにこの世の終焉に映ったのではと考える。

今、TV&CMは多くの番組を自粛により内容が大きく変えられている。

神戸の時、正直悲惨だったのが実は「被災者=支援を受ける人」※弱い
立場と言うレッテルである。 食糧・ライフライン、確かに生きるために
必要である。 しかし、そんな時でも人は悲壮感ばかりではパンクしてしまう。

泣くばかりより、やっぱり時には笑いたい。酒も飲みたい。パチンコしたいし、
炊き出しもありがたいが、やっぱり焼肉も寿司も食べたい。

当時、避難所の学校では毎日、自警団によって夜警が行われていた。

それは危険地帯とされていた自宅に盗難などの二次災害を防ぐためである。

そんな夜警に同行したある夜。リーダーである年配者が「今日は冷えますね。」
「素晴らしい差し入れが手に入りましたよ。」と言って一升瓶を出してくれた。

校舎の陰で私たちは目立たぬよう、酒を飲み交わした。 ブラックジョークも
言った、バカネタで盛り上がったりもした。 昨日までは見知らぬ人どうし
だったのに…

 日本中の誰もが嘆いているだろう。 「なんで」「なんでこんな小さな
国なのに」マスコミは次第に矛先を施設関係者や行政の対応や政府へ、野党は
与党へ、更に危機管理システムへと向けられるであるう。

しかし、当の被災者はそんなことはどうでも良い。 神戸の時も国会答弁には
心底、腹が立った。 天災はどんなに理屈を付けても人災には置き換えられない。
ましてや誰かを恨むことでも失った者の心は癒されない。

本当に欲しいのは明日に期待が持てる思い出あり、希望なのだ。

神戸での教訓を今こそ、生かして欲しい。
それは願いどころではない。 そうでなければ運よく、生き延びたとしても
精神的なダメージは計り知れないと思うからであります。

皆が心配している。 そして皆が応援している。 そしていつかは皆で
楽しく笑いましょう。生きていることが何よりも本当に幸せと思えるように。
 


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2011/3/4

自分を強くする男の仕事  左官鏝
 先日、親しくしている左官職人がお店に遊びに来た。
約1年ぶりの懐かしい顔は若かった頃のトゲは消え去り、男らしい
深みと味を見せていた。 私が「良い顔してるやん。」
すると彼は「最近、もうムチャクチャ仕事が面白くって!」
「どうして。」 「いや〜人って成れるんやなぁ」「やりたかった
仕事が次々と舞い込んで来るねん。」

彼の言葉の意味が凄く良く読み取れる。

「男」にとって、それが仕事と信じているからだ。
だからと言って、彼も高額な収入を得ているわけではない。

そして問題は金額の大小ではない。勿論多いに越したことはないが、
それよりもどうせやるなら気持ち良く働きたい。

それが「働く」ことが定めとも言える男のせめてもの性(サガ)だ。

新米の頃、初めての現場で先輩方の凄さに圧倒される。
役に立てるのは雑用ばかりと思いきや、段取りが読めないから
むしろ足手まといとなる…

数か月後、やっと小さな役で手助けとなる。

しかし、すでに神経はボロボロの状態だ…

たまの休みはもう爆睡とも言える深い眠りに入った。 若かったから
眠ることで体力は復活できたが、週明けの足取りはやっぱり重い。

「俺にできるだろうか」「俺には向いてないのかも」

試行錯誤する。 精神面でも弱っている。
だから身近な人でさえ優しくなれない。

しかし、いつの頃か、最初の小さなトンネルを抜けたようなボヤけた
光が見えてくる。 また頑張る…    光が次第にはっきりと
見えてくる。   何を何のために、そしてそれは誰のために。
それが男としての一人の人間のプライドや生きている価値を示し
初めてくる。

仕事は「目で盗め」と先人は言う。 今は間違いない言葉だと自覚して
いる。 もし、今、先輩方の心が全て読み取れたとしても。
その先輩が持つ数多くの失敗や挫折、そしてそれを乗り越えた強さは
やはり経験しない限り身に付かない。

先の彼は修業期間を終え独立。 師匠の枠に捕らわれず、あらゆる
現場で更なる修業を乗り越えてきた。

夢にまで見た憧れの先輩の元では浮かれ気分とは真逆で、最下層の
扱いに心折れそうにもなったと言う。 しかし、それが社会なのだ。

上には常に上が居る。 だから「仕方がない」と言えばそれまでで、
下を見るより、せめて上を見る・上を目指すことが男の意地でもある。

サラリーマンと違い、私たちは決められたレールに生きている訳も
つもりもない。

それはまた幸せに見えて、時に落胆させらることもある。

しかし、彼は間違いなく強くなっている。

私は60代で頑張っている左官職人の皆さんが大好きです。
「60を過ぎれば大手の現場では働けないんよ」と笑顔で話ている。

彼らも現場に立てば弟子に厳しいはずだか、私の目線からは
人生を悟ったような明るさ、優しさが感じとれる。

人は誰も老いて行きます。

ならば彼らの様におおらかでいたい。

そのためにはやっぱり仕事を「しかたない」と生きるより、
「仕事が楽しい」と思える自身の目標は重要と思える。

頑張る人には「奇跡」がやってくる。最初は10の枠を超えた
奇跡。 次には100の枠を超えた奇跡が…

一生懸命働き、一生懸命遊ぶ。

私事ですが、この3年、絶対怒らないと心に決めた。
誰にもどんな時にもである。

その結果、以前より更に多くの人が集まるようになってきた。
私は今、50を手前にしていね。
だからこそ、そうあるべきと信じている。

20代はハメを外せば良い。
30代は突っ走れば良い。
40代、周りに生かされていることを感謝・実感すればいい。
50代になれば、そんな仲間たちに恩返しが出来れば幸せと思う。

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