2010/4/12

日本の伝統とは・・・  
先日放送されたTV番組「マチャアキJAPAN」を見た。
私以外にも「左官」の響きにチャンネルを合わせた方も多いと思います。
内容はウガンダに出向き、飲料水の確保のための井戸掘り。
学校での給食安定化を願う[かまど作り]の2つがテーマとなった。

共に伝統的な日本の技術が用いられているのが特徴でした。

この番組を見ながら私は色んなことを考えさせられました。
ウガンダとは言え、長年の伝統や文化があったと考えられます。
しかし、内戦が長引くと、なかなか維持・成長ができないのかと、考えて
しまう。 対する日本はその点、多くのモノや考え方に深く伝統文化が
根付いている懐の深さを改めて考えさせられました。
それは永く安泰の歴史を築いた江戸時代に蓄積されたと思えてなりません。

いかに生活を豊かにするか。そして効率良く生産する。
誰かが誰かのために何かを生む。左官が居て鍛冶屋を育て、気候風土に
合った家を提供する。 その中にはかまどや土間、犬走りなど、
生活に根付いた工夫が施されている。

今の時代はマネーが右から左に動くだけで全ての事が成しているように
思われているが本来の生き方を考えれば、「働き甲斐」とは
人に「与える」ことの対価が賃金の本来の意味だと考えます。

私は永くヨーロッパの伝統文化に憧れを抱いていました。
古い町並み、今も生きる伝統産業。そして、それを守ろうとする人々。
対する日本は生産性を求めるために古き良き物を次々と壊してきました。

今日、当社に来店頂いた左官職人さんと、そんな話題に触れると
私は思わず熱く語ってしまいました。
その昔、左官と鍛冶屋が同じ町内に住んでいた。
左官は今の道具に満足出来ず、その知り合いの鍛冶屋に注文を付けた。
何度も何度も…そして、ついに納得の行く道具が出来た時、左官職人は
その道具を「素晴らしい」と皆に自慢した。
そして鍛冶屋に所には多くの左官職人から注文が殺到した。

今の金物店ではカタログに無ければ「無い」と平気で言う。
量産できなければコストも合わない。だから、作らない。 そんな
ビジネスライクが今では当たり前になっている。

待てよ。本末転倒じゃないか?元々、使う人のための道具だろ?
使う人が欲しいと言えば、それを「作る」と言うのがモノ作りじゃ
ないのか?  そうでなければ日本の伝統は本当に滅んでしまう。
番組では奈良の宮奥左官さんがウガンダの地元で粘土質の土や
バナナの皮からスサの代用を用い強度な[かまど]を完成させられ
ました。 それが日本の伝統と改めて考えさせられました。
例えば京壁の代表とも言われる聚楽壁。本来この聚楽とは土の出所を
指し、秀吉の邸宅、聚楽台周辺の持つ、きめ細かく粘り気をもっと
地表数メートル下の特殊な土を臼でつき、ふるいを通し、茶室の
四畳半程度に使用された貴重な材料でした。 それがいつの間にか、
名前だけが一人歩きし、現在では既成調合材料として、その色合い
だけを残し製品化されています。 マネーが右から左に移るように
職人の技術も右から左に、ただ材料を整形するだけではもったいない。

材料に拘る左官職人は今も多い。  挾土秀平氏もその一人と
思われるが、出合った多くの方々の感想はそのルックスとは相反し、
とても実直で誠実な本当に職人気質の人柄だそうです。
そんな彼らが追い求める[土]それが日本の木と土の文化、伝統と
改めて考えさせられました。

何かに拘り、何かを求め、そして、私達道具屋もそれを手助し、
要望に答えて行く。 そして人が満足し、生活が一歩豊かになり、
作り手と受けて共に満足する。 それが本来の「平穏無事」。
理想的な人の生き方と思えます。 この先、間違いなく「職人」は
この国で重宝されると考えます。 ドイツでは既にマイスター制度が
導入されており、日本も追随する方向にあります。
今はまだ国宝級の維持・管理に重点を置かれていますが、
近い将来、日本の伝統文化を世界に発信できる技術者集団、それが
「職人」の新たな立場となるでしょう。

そんな日本もまだまだ捨てたもんじゃない。
私達の心の片隅に、実は今も脈々とあの江戸時代の町民文化が生きて
いることを改めて考えさせられました。
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