2009/12/6

三木の鏝鍛冶。  左官鏝
現在、国内の「鏝」生産の100%近くを担っている兵庫県三木市。
なぜ、それほどまでに維持・成長を遂げたは戦中・戦後に股がる
要因が大きい。地方にあり、基地や軍需産業とは無縁だった農業
中心の地方都市、三木市は大きな戦火に見舞われることもなく、
戦後を迎えた。その後も日本が急速な再建を迎えると都市部にも
存在した旧型鍛冶屋は効率の悪さや量産体制を構築していくと、
次第にその様相を変えて行く。
同時期、農業中心とは言え生産量にも限界があった三木市は
戦前から存在していた鍛冶屋業への特化を目指し、高度成長期を
迎えると三木市は富山の置き薬同様、三木を拠点に三木で作られた
道具を地方へ売って廻る「卸し問屋」が拡充。それらによって、
三木の道具は地方の隅々まで持ち込まれて行き、地場産業として
定着して行く。
更に三木市の鍛冶屋には兼業農家も多く存在し、それら要因も
鍛冶屋の成長の大きな要因となって行った。

鏝材料として使用される鋼(ハガネ)は実は工業鋼材の分類では
使用量の少ない特殊鋼の中に分類されている。
もし、数軒程度の受注なら大手製鉄メーカーも作らない鋼だが、
三木市には鏝鍛冶だけに留まらず、鋸(のこぎり)鑿(のみ)
鉋(かんな)メーカー等、建築工具(今や園芸道具も)に
携わる鍛冶屋(メーカー)も多く点在し、独自の流通形態を
構築し、縦・横の繋がりによって、材料の確保を容易に行える
土壌が完成して行く。 ちなみに鋸ではゼットソーや工具では
ミヤナガ、カンザワ等、有名所も三木市が拠点である。

しかし、そんな経緯も昨今は状況を変えつつある。
製造大手は量産を中心に置いているが、鏝に関して言えば、
なかなか量産は容易ではない。 したがって少数精鋭による
生産が主になる。 しかし、ありがたいことに鏝の需要は
決して多いとまで言わずとも安定してくれている。
鋸の様に替刃式が誕生し、更に電動工具化によって、大きく
受容を減少させることも無かったことが、三木鏝鍛冶の
育成へと繋がって行った。それはひとえに左官が技術職で
あり。 日本建築と共に受け継がれてきた技術だからと断言
できる。しかし、如何せん鏝鍛冶の高齢化は止められない。

丁稚奉公から始まり、基礎技術を学ぶことを教えとしてきた、
鍛冶屋は40年代以降、減少しているのが実情である。
システムを構築すれば、量産も可能だろうが、それは
現在のハウスメーカーの住宅同様で、鍛冶屋の親方達は
望もうとしない。 なぜなら、鍛冶屋にとっての生きがいは
聞けば研究開発の日々にあるからだと言う。
それらを積み重ねてこそ鍛冶屋として一人前だと彼らは
口を揃えて言う。 最初から出来て当たり前のことが、
何ひとつ無いのが実は職人の道だからだ。
それは左官業にとっても同様で、昨今の厳しい実情では
維持は愚か、成長なども困難となってきている。

この先、多くの人々がその技術の価値を評価しても、
作り手が失われていたら何の価値も値打ちもない。

過去に久住氏が危惧した、職人・道具・材料、この
三位一体が表現する日本の伝統技術「左官」に少しづつ
だが、歪みが起ころうとしている。 私自身もその
渦中にあり、行く先の不安をぬぐうことは出来ない。
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