現在2018年大晦日の夜10時半。
娘が寝て、年越し蕎麦を食べて一息ついたところ。
先にブログの記事を書いておき、指定の時間が来たら自動で公開する
予約投稿で大晦日に記事を載せたことはあるが、こうしてリアルタイムで
大晦日の夜に記事を書くのは自分にとってなかなか珍しいことである。
結婚したり子供が生まれた時も激動の1年だったが、今年も様々な出来事
のあった1年だった。
1月から家をリフォームし、4月下旬頃から新しくなった家での生活を開始。
5月にハワイへ行った。1歳の娘を連れての海外は、なかなか刺激的な旅行
だった。
パズルの方では今年も日本パズル選手権の問題プロデューサーに。
今年はさらに世界パズル選手権の日本代表選抜大会の問題プロデューサー
もやらせていただいた。
ジャグリングの方は・・・、いつも通りだったかな(笑)。
そして11月収録、12月放送のクイズ番組「99人の壁」でのグランドスラム。
と、最初から最後までまんべんなく色々あった1年だった。
で、本題。文体から予想できたかな、ちょっとマジメな記事。
秋に日本パズル選手権に行った時のこと。
先輩のパズル作家さんから、パズル雑誌の編集をしていた方の訃報を聞いた。
亡くなられたのは秋より少し前で、葬儀は身近な人だけで行われたそうだ。
自分がパズル作家のセミプロとして仕事をいただくようになったのが20年
ほど前。そのとき自分にパズルの仕事をふっていただいたのが、その亡くな
られた編集者さんである。
自分にとっては生涯最初の担当編集者。パズル雑誌の編集に長年携わって
こられた超ベテランさんだった。
最初は自由に1ページ作ってという依頼。
慣れてきたらそこに定番系パズルが追加されたり、テーマを指定してきて
そのテーマの中で新種のパズルを自由に作ってという依頼になったり。
ルールを考え、問題を作り、チェックし、清書し、送る。
この作業の、自分なりのペースやルーチンを、2年ほどかけて身に付けた。
編集者さんに厳しさというものは無かった。
編「こんなテーマでできる?(笑)」
今「こんなんできました(笑)」
編「こう来たか(笑)」
みたいな感じで、2人ともパズルで遊んでいた。パズルが好きだから。
自分のパズル製作の強みは、新しい形式を考え提案できるところだと思う。
その能力を評価されて依頼をいただくこともある。
新しい形式を生み出す能力は、この編集者さんと雑誌を作っていた時に
身に付いたものなのだろう。
専業のパズル作家で18年やってきた。
出版不況とかがあった中ここまでやって来れたのは、最初に出会ったこの
編集者さんのおかげだ。いくら感謝してもしきれない。
訃報を聞いた翌日。神田神保町にやってきた。
編集者さんが代表を務めたプロダクションがある街だ。
パズル作家の駆け出しの頃、新潟から挨拶によくその編集プロダクション
に伺ったものだ。
近年はパズル誌の編集はやられておらず、自然と足が遠のいていた。
神保町の店でお昼を食べた。
カレーの深い辛さとエスプレッソの苦みが、心に染みた。
来年も頼まれたパズルをひたすらに作る1年になるだろう。
おれには新しいパズルを生み出す力があるのだから。