大相撲の伝統とは何か?
そもそも、現在の日本相撲協会のとりおこなう相撲の様式、これはそんなに古い伝統のあるものではなく、土俵とか土俵に上がって手を打って塩まいて四股ふんで、というような様式が固まったのは江戸時代も後半に入ってからのことだという。
「相撲は神事」とよく言われるが、吉田司家という、元は京都の二条家に使えた行事の家が家元になってて、そこの様式であるのであって、神社神道の様式とも異なって、別に日本国家の国家神道背負っているわけでもなんでもないのである。
元来は土俵の四隅に柱が立って屋根をささえていたのであり、その4本の柱がそれぞれ青龍、朱雀、白虎、玄武の方角の神様であった。こんなのは中国出身の神様であって、平安時代の陰陽五行時代には随分と活躍したが、かんながらの道系統の神道ではこんな神様は基本的には出てこない。(もちろん、国家神道が確立する以前の神社の伝統にはナンボでも登場する)
しかもこの4本の柱は取っ払われ、屋根から垂れ下がった房に置き換えられた。これは「見にくいから」という興行的理由であって、神事にしてはえらくフレキシブルな神事なのである。
つまりは、「相撲の伝統」とは、相撲の興行において、場所を提供してもらう各地の神社仏閣の都合にあわせて、それらしく形成されたものなのである。
それでは、そもそもの相撲の伝統とはなにか?
これは日本書紀にさかのぼる。
奈良は葛城の当麻に、当麻蹴速(たいまのけはや)と名乗る底無しに強いおっさんがいて、「ひたぶるに生死を問わず力比べせむ」とかゆうとった。
時の帝の命で出雲国の野見宿禰(のみのすくね)と相撲で勝負する事になった、というのが相撲の起こりであるとされている。
勝負はルール無用のバーリートゥードであったらしい。
「二人相対いて立ち各々足を挙げて相蹴む。即ち当麻の脇骨を蹴折き、亦其の腰を折きて之を殺す。」
・・・・。
殺すのありだったらしい。
野見宿禰は後に土師氏となり、後に姓を大江や菅原に改めた。大江匡房、大江広元、菅原道真、毛利元就とかがこの子孫ということになる。
ここで注目すべきは、負けたほうの当麻蹴速である。
奈良の当麻にその名を残し、当麻寺とかがある。
当麻、あるいは當麻。
これはアレではないのか?
當麻寺の本尊は、中将姫作成といわれるところの「當麻曼陀羅」である。これは何か?寺の縁起を紐解いてみよう。
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まず、左辺には、インドの王妃イダイケがお釈迦さまによって極楽浄土を目の当たりにし、それによって救われた話が示されています。つまり、亡くなって極楽浄土へ迎えられたのではなく、この身のままで浄土を観じることによって、生きたままで浄土の喜び、安らぎ、を得ることができ、救われたという話が説かれているのです。
「生きたままで浄土の輝きに救われる」とはどういうことでしょうか。それを実際に体験するために、曼陀羅の右辺には「観無量寿経」に説かれている「浄土を観じる瞑想法」が記されています。心を鎮めて一心に浄土を思い浮かべることにより、生きたまま浄土に遊ぶ心地を体感する瞑想法です。ほとけさまを思い描くことにより、ほとけさまが常に見守って下さるという喜び、ほとけさまを身近に感じる安らぎを得ることができるでしょう。これこそがほんとうの「念仏(ほとけを念じる)」ということです。
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ぜったい、アレだ。
もはや、明らかであろう。
太古に敗れ去った当麻相撲の伝統を受け継ぐのは誰であるのか。
全日本プロレスと新日本プロレスとが分かれたように、日本相撲協会から当麻相撲協会が分かれて、なんの不都合があるのか?
古式ゆかしい伝統を復活するために、力水をつけるかわりに大麻を回す当麻相撲を復活すべきである。日本で無理なら、既に大麻が非犯罪化されているロシア・ヨーロッパを興行で回ればよいではないか。
ロシア人力士が言っても難しいだろうが、北の湖が動けばいけるぞ!
がんがれ!北の湖 !
マゲやめてドレッドヘアーでいけ!

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