ナブルス通信 2008.7.12号
http://www.onweb.to/palestine/
ガザのジャーナリスト、ムハンマド、拷問される壁で囲われ、出入口を閉ざされ、巨大な「青空監獄」と呼ばれるガザ。外国人の出入りもイスラエルによって禁じられ、密室に近い状態で爆撃や侵攻がなされてきました。その中にあって、「現に起こっていること」を伝える者として、ガザ生まれのジャーナリストたちがここ数年かけがえのない働きをしています。大学生のときからウェブサイト「ラファ・トゥディ」を開設し、ガザの様子を世界に発信してきたムハンマド・オメールさんもそんなガザのジャーナリストのひとり。サイトを開設してから6年、イスラエル軍による家族の殺害まで経験してきたムハンマドさんは、欧米の新聞・ジャーナルに寄稿し、Inter Press Service (IPS) の特派員にもなるなど活動の場を広げ、Washington Report on Middle East Affairs (WRMEA)からは、若きジャーナリストへ贈られる賞を受賞しました。それに引き続き、この6月には、英国のマーサ・ゲルホーン賞を受賞(イラクのレポートをフリーの立場で送りつづけている米国のダール・ジャマイル氏との共同受賞)。外交的な尽力もあり、ガザを出て、欧州に渡ったムハンマドさんは、受賞式の席に立つとともに、スウェーデンやギリシア国会などでガザの状況をスピーチを行い、欧州各国の国会議員やジャーナリストたちと会談を多く持ちました。(※ムハンマド・オメールさんが、まだ単に「ムハンマド」とだけ名乗っていた頃から、ナブルス通信では多くを翻訳してきました。以下に大学生だったムハンマドさんが書いたものが出ています。
http://www.onweb.to/palestine/index2.html#2003 )ここまでなら喜ばしきニュースとしてお届けできたのですが、ガザに戻ろうとヨルダンからイスラエルの入国管理を通過しようとしたムハンマドさんを待ち受けていたのは、「おまえは気は確かか?パリを発ってガザに戻るのだと?パリのほうがマシな暮らしができるだろう?おまえは苦しむことを選んでいるんだ」というイスラエルの治安機関職員の言葉でした[ムハンマドはパリ経由でアンマンに飛んだ]。その後、ムハンマドに何が起こったのか。独立系ジャーナリストとして虐殺や人権侵害を明るみに出し、数々の賞を受賞してきたジョン・ピルジャー氏(マーサ・ゲルホーン賞の審査員でもある)が英国のガーディアン紙に寄せた記事をお届けします。[ナブルス通信]
……
ムハンマド・オメール、マーサ・ゲルホーン賞を受賞
パレスチナへの帰路、入管でイスラエル秘密警察に暴行を受ける
ジョン・ピルジャー
ガーディアン
2008年7月2日
From triumph to torture
John Pilger
The Guardian
July 2, 2008
2週間前、私は、2007年度のマーサ・ゲルホーン賞[訳注]を受賞
したパレスチナ人の青年、ムハンマド・オメールの受賞式に出席
した。アメリカの偉大な戦場ジャーナリスト、ゲルホーンを記念
するこの賞は、権力・体制のプロパガンダ、ないし、ゲルホーン
言うところの「公の大嘘」を白日のもとにさらしたジャーナリスト
に贈られるものだ。今回はダブル受賞で、もうひとりはダール・
ジャマイル。ムハンマドはジャマイルと副賞の5000ポンドを分かち
合った。ムハンマドは現在24歳、史上最年少のゲルホーン賞受賞者
である。
[訳注]マーサ・ゲルホーン。 Martha Gellhorn。1908-1998。
アメリカの小説家、旅行作家、ジャーナリスト。戦場ジャーナリス
トとして、60年にわたり世界各地の紛争地域から報告を送りつづけ
た。1940-45年、作家アーネスト・ヘミングウェイと結婚(ヘミング
ウェイの3番めの妻に当たる)。
[訳注]マーサ・ゲルホーン賞。Martha Gellhorn Prize for
Journalism。ゲルホーンを記念して、1999年にイギリスで創設された
ジャーナリズムの賞。公的な発表や大手メディアが伝えることのない
(往々にして隠蔽する)紛争地域の真の実状を伝えたジャーナリスト
に贈られる。2002年にはロバート・フィスク、2003年にはクリス・
マクグリールが受賞している。本稿の執筆者、ジョン・ビルジャーは
同賞の評議委員会のメンバー。
ムハンマドの紹介文には、こんなふうに書かれている。「彼は、自身
が囚われの身になっている紛争地域から、日々レポートを送りつづけ
ている。彼が生まれ育ったパレスチナのガザ地区は、フェンスで囲わ
れ、飢えとイスラエルの攻撃に苦しめられ、世界から忘れ去られてい
る場所だ。彼は、この時代の最大の不正義を、真に人間としてのまな
ざしで見つめ伝えている、声なき人々の声である」
8人兄弟の長男であるムハンマドは、多くの兄弟・親族が殺されたり
生涯にわたる障害を負わされたりするのを目のあたりにしてきた。家族
が中にいる時に、イスラエルのブルドーザーが家を押しつぶし、母親が
重傷を負ってもいる。そんな境遇にありながら、前オランダ大使のヤン
・ウィエンバーグが語るところでは、「ムハンマドは抑制のきいた文章
で、パレスチナの若者たちに、憎しみをつのらせるのではなく、イスラ
エルとの平和の道を探るようにと説きつづけている」
ムハンマドのロンドンでの受賞式出席は、外交力を駆使した一大作戦行動だった[訳注]。ガザ地区のボーダーはイスラエルの不当なコントロール
下にあり、オランダ大使館員が随行するということで、ムハンマドはよう
やくガザ地区から出ることができた。
[訳注]スポンサーは、受賞対象となった記事を掲載したアメリカのWRMEA:Washington Report on Middle East Affairs。旅行プランの作成と実施、入出国関連のイスラエルとの交渉、その他すべてを仕切ったのは、テル・アビブのオランダ大使館。
そして、受賞式を終えて、パレスチナに戻ることになったムハンマドは、先週の木曜(6月26日)、オランダの大使館員とともに、ヨルダンとの国境にあるアレンビー入国管理事務所に行った。入管の建物の外にいた大使館員が気づかないでいるうちに、ムハンマドは悪名高いイスラエルの秘密警察シンベトに別室に連行された。携帯の電源を切って電池を抜くようにと言われ、随行者の大使館員に連絡したいと言ったものの、それはできないと強圧的に告げられた。ひとりの男が荷物をかきまわし、書類をチェックしながら、「金はどこにある?」と言った。ムハンマドが持っていた数ドルを差し出すと、男は「ポンド紙幣はどこだ?」と言った。
「そこでわかったんです」とムハンマドは語った。「こいつは、マーサ・ゲルホーン賞の賞金を探しているんだって。僕が、持っていないと言うと、男は『嘘をつくな』。その時にはもう、8人のシンベト要員に囲まれていました。全員、武器を持っていました。アヴィと呼ばれている男が僕に服を脱げと命令しました。X線透視装置はすでに通っていたんですけどね。
下着姿になったところで、さらに全部脱げと言われ、拒否すると、アヴィがピストルに手を置きました。僕は怒鳴りました。『なぜこんな扱いをするんだ。僕は人間なんだ』。アヴィは『これから始まることに比べたら、こんなのは何でもないさ』と言って、ピストルを抜き、銃口を僕の頭に押し当てて、僕の体に全体重をかけ、身動きできなくさせた上で下着をはぎとったんです。それから、ダンスみたいな真似をさせられました。別の男が笑いながら、『どうして香水なんか持っているんだ?』と言い、僕が『愛する人たちのためのプレゼントだ』と答えると、そいつは『ほほう、おまえたちの文化に愛なんてあるのか』と言いました」
「僕をいたぶる中で、連中が一番おもしろがっていたのが、イギリスの読者からもらった手紙を茶化しまくることでした。そんなふうにして、食べ物も水ももらえず、トイレにも行かせてもらえずに12時間立ちっぱなしにさせられていた結果、とうとう膝ががっくり崩れて、胃の中のものを戻した挙げ句、気を失ってしまいました。その後、覚えているのは、ひとりが、僕の目の下の軟らかい部分に爪を突き立てて、眼球をえぐりださんばかりにほじくりまわしたこと。そいつはさらに、頭を探って、鼓膜と脳の間の聴神経があるあたりに指をグイグイ突き立てました。2本の指でそれをやられるたびに恐ろしい痛みが走りました。
別の男は軍靴を僕の首に載せて力任せに硬い床に押しつけました。そんなふうにして、僕は1時間以上も横たわったまま暴行を受けつづけました。激痛と怒声が交錯する暴力の展示場といったところです」
パレスチナの救急車が呼ばれ、病院に連れていく前に、尋問中に受けた傷についてはイスラエル側の責任を問わないという文書に署名しろと命じられた。パレスチナの救急スタッフは果敢にもこれを拒否し、随行しているオランダ大使館員に連絡すると言った。これを聞いて、イスラエル側はそのまま救急車の発車を認めた。昨日、ロイターが伝えたところでは、イスラエル側の言はいつもながらの、ムハンマドには密輸の「疑いが」あり、「正当な」尋問中に「バランスを失って」倒れただけだ、というものだった。
イスラエルの人権組織が報告しているところでは、シンベトの要員によるパレスチナ人への拷問――打擲、限界まで縛り上げる、背中を折り曲げさせる、四肢を引き伸ばす、睡眠をとらせない、など――は日常茶飯事となっているという。アムネスティもまた、もうずいぶん前から、当たり前のように行なわれているイスラエルの拷問について報告と警告を発しつづけてきた。拷問を受けた者の中には、人格が一変してしまった者もいれば、生きて戻らなかった者もいる。ジャーナリスト、とりわけパレスチナ人のジャーナリスト殺害に関して、イスラエルは国際順位リストの上位に位置している。しかし、BBCのアラン・ジョンストン記者[訳注]とは異なって、彼らのことが報道されることはほとんどない。
[訳注]アラン・ジョンストン。Alan Johnston。BBCの特派員。2007年3月12日、ガザ市で「イスラーム軍」と名乗る組織に誘拐され、7月4日、114日ぶりに無事解放された。拘束中に犯行グループから何度かインターネット上でビデオが公開されるなど、世界的なニュースとなった。
オランダ政府は、ムハンマド・オメールへの暴行事件に衝撃を受けていると語っている。前オランダ大使のヤン・ウィエンバーグは「これは、ひとつの独立した事件ではなく、パレスチナ人の社会的・経済的・文化的生活を破壊するための長期的な戦略の一端をなすものだ……ムハンマド・オメールが近い将来、イスラエルのスナイパーに狙撃されるか爆弾による攻撃を受けて殺される可能性もあると思う」と語っている。
ムハンマドがロンドンで賞を受けた時、新任の駐英イスラエル大使、ロン・プローザーは、英国人の多くはもはやイスラエルの民主主義の独自性を正しく認識していないようだと、公式に不満の意を表明した。今や、誰もが「イスラエルの民主主義の独自性」なるものを充分に認識していることだろう。
・・・
翻訳:山田和子
原文:
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/jul/02/israelandthepalestinians.civilliberties
ジョン・ピルジャーのサイト:
http://www.johnpilger.com/
参考サイト=ラファ・トゥディ:
http://rafah.virtualactivism.net/news/todaymain.htm
http://www.news.janjan.jp/world/0807/0807081547/1.php
中東:イスラエル兵士による、ガザIPS記者への襲撃に抗議する
IPSJapan2008/07/09
ガザIPSの記者・モハメッド・オメールは、イスラエル兵士に所持品検査のため裸にされたうえに、何度も殴られ虐待を受けた――。
中東 事件 IPS
【ガザシティーIPS=メル・フリュクベリ、7月3日】
先週、ヨルダンからイスラエルへ戻る途中のアレンビー橋の国境付近でIPSの記者がイスラエル兵に襲われる事件が起きた。ガザ・シティーIPS記者、モハメッド・オメール氏の話によると、イスラエル兵士に所持品検査のため裸にされたうえに、何度も殴られ虐待を受けたという。その後、同氏は肋骨骨折のため病院に搬送された。
モハメッド・オメール氏は2008年、(戦争報道に携わった記者に贈られる)マーサ・ゲルホーン賞をダール・ジャマイル氏と共に受賞した有能な記者である。
一方、イスラエル政府当局はこの記者に対する暴力行為を否定。「記者は所持品検査の際に『体勢が崩れて』負傷したのではないか」などと、曖昧な説明を繰り返している。
このようなイスラエル政府の態度に人権団体の活動家は怒りを露にする。イスラエルでは最近、パレスチナ人ジャーナリストを狙った暴力行為が多発している。報道の自由を訴える団体は「この10日間で5件もの暴行事件の報告を受けた」と話した。
イスラエルの人権擁護団体『 B’Tselem 』もIPSの取材に、パレスチナ市民の無差別殺人事件にイスラエル軍兵士が関与していることを明らかにした。しかし、たとえイスラエル高裁が軍に調査を要請しても彼らには陳情書を出すことができる。さらに、この国では免責特権によりイスラエル軍兵士を実際に裁くことは難しいのだ。
ガザ市内の病院で治療を続けているオメール氏はIPSの取材で現在の気持ちを語った。「イスラエルの抑圧に私は負けない。回復すれば再び現地での報道を続けるつもりだ。むしろ事件が起こる前よりも私の決意は固くなった」。イスラエルで今も続くジャーナリストへの攻撃について報告する。(原文へ)
翻訳/サマリー=松本宏美(Diplomatt)/IPS Japan武原真一

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