今頃になって、アッテンボローさんの呼びかけの声明に賛同した。
http://www.geocities.jp/housei_kougi/index.html
迷いもあり、また、俺がこのよびかけに賛同するについては、それだけのぶん、中核派について俺がどのように考えているのかという事を記述する必要があり、それは囚われている人々にとっては決して有利には働かないであろうという判断もあった。とりあえず、被弾圧者は外に出てきたという情報が流れているので、重い腰を上げた次第である。
「迷い」の方はもっと重大である。
俺のメールボックスに、ある市民運動の人からきたメールが、返信もしないでそのままになっている。
それは大阪経済大学の革マル派自治会への弾圧について、「革マル派だからという理由で、これを放置する事が果たして正しい事だろうか?」という内容のメールである。
俺はこの件については、なにもしていない。
大経大の一件について、なぜ、このような、革マル派以外の部分からの働きかけが生まれなかったのか、という理由は明白である。
革マル派は革マル派を中心とする同心円上の運動、すなわちワレんとこの運動以外の運動を一切承認しないというのが、彼らの党の方針であり、実際に彼らが敵対するところの中核派が「入り込もうとしている」という理由で、その入り込む先の市民運動体を攻撃した事すらある。
革マル派以外の部分から、革マル派への弾圧についての運動が発生する可能性は、彼ら自身がこれまで、全力で潰してきた結果であり、それはおおいに成功したのである。
では、中核派はどうか?
彼らの「脱落派(彼らが言うところの)」に対する「戦争宣言」は未だに取り下げられてはいないはずである。彼らは、三里塚の反対同盟の分裂に伴い、「戦争」を宣言し、何人もの人を、彼らが革マル派を殺してきたやり方を踏襲し、家を襲撃して重傷を負わせるという事をやった。80年代前半の話であり、そんなに昔の事ではない。
主に第4インター派の人がやられ、片足切断という状態になった人がおり、また、他にも職場に押し掛けられるとか帰り道に待ち伏せされるとかいう目にあった人は本当にたくさんいる。
それは、「状況が生んだ、不幸な事態」だったのか?
今回の事件の現場であった、法政大学などでは、ノンセクト、すなわち党に所属しないところの左翼を、何年かに一度の割で「叩き出す」という事が、年中行事のように行われてきた。その理由たるや、実に様々である。詳しく知りたい人は、マル共連などを漁ってみていただきたい。中核派は、法政大学における中核派の支配が、ノンセクトによって侵食されるのではないかという恐怖にさらされるたびに、内ゲバで鍛えた軍事力で以て、ノンセクトを放逐してきたのである。
その結果、法政大学の学生運動の力量は確実にやせ細り、今回のような、大学当局が公安警察と結託して、大量逮捕させるというような事も可能になったのである。
そんなアホな奴らの為に、声明するという事自体が、実に馬鹿げた事なのではないか、という思いは、いまでも強くある。
「革マルと中核のどちらがマシか?」。革マル派は、国鉄分割の際に、はっきりと階級的に「敵の側」に立った事がある。「分割賛成」に寝返り、他の労組の首切りを推進したのだ。これはかなり決定的な事である。
しかし、その他にこの両者にどのような決定的な差異があるのか。彼ら自身にはいろいろなアレがあるだろうが、俺のような立場では、どちらにでも頭をかち割られる可能性が常にある、という事では、全然変わりはないのである。
逡巡の結果、あえて俺が賛同するというのは、ひとつには、法政大学当局のあまりの愚劣さ、教育者としても商売人としても最低最悪の愚劣さについて、その対象が中核派であるからという理由でスルーされるというのは、実に如何なものかと考えたという事、それは法政大学学生諸君にとっては実に不利益である事、そしてまた、大学自治について、最悪な前例を残してしまうという事、などなどを鑑みた結果である。
追記↓
http://black.ap.teacup.com/despera/185.html

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