「左翼はよ、闘っては敗北し、闘っては敗北し、これまでずっっと敗北してきたわけだろ?という事は、よっぽど世の中が無茶苦茶に悪くなっているか、よっぽど左翼が無理難題ばっかり言っているかのどっちかだよな?」
と、前にも書いた事があるような気がするが、ガクセー運動の先輩がゆっていた事があるのである。
時代の雰囲気というものがあり、世の中がバブルで浮かれていた時代に左翼なんかやっている奴は、基本的に多少なりともへそ曲がりの気質があったように思う。私たちは、そのような景気の良い時代に、様々な事に怒り、ビラを撒き、デモに行った。その一方で、私たちの日常というものは、なんの問題もない、平穏無事なものであり、そのギャップにしばし、クラクラするものを感じたのだった。
私たちは、無理難題の駄々を捏ねていたのだろうか?
私たちの、「平穏無事な日常」が侵食される感覚を持ったのはいつ頃だっただろうか。93年のイラクの戦争は、結局のところ、「遠い外国」で起きた戦争だった。自衛隊派兵も、結局のところ、「自衛官の人たちの問題」だった。私たち自身の「日常」が侵食される感覚を、私たちは持たなかった。もちろん左翼は政治的に行動したわけだが、これが状況に対して規定力を持ち得なかったというのは、結局のところは「日常」が平穏無事だったからではないのか。
いくつかの事が立て続けに決定された。
「日本はアメリカの51番目の州か」とよく言われるが、そんなわけはない。51番目の州なのであれば、我々はアメリカ合衆国の選挙権を持っている筈だ。日本はアメリカの一部なのではない。これは「植民地経営」なのだ。
沖縄からは米軍基地は減らず、沖縄の中でたらい回しにされる。
横須賀には原子力空母が来る。
自民党が「憲法改正案」をまとめ、アメリカは日本が牛肉を輸入しなけりゃ、圧力をかけるそうだ。
来月の16日にはブッシュが来て、多くの貢ぎ物を持って帰る事になるだろう。
確実に世の中は悪くなり続けてきたのだ。
こうした「悪いこと」は、長い準備をかけて行われてきた事なのだ。

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