では、天皇制の政治的機能とはなんなのか。
昔していたような議論を思い出しておく事も無益ではなかろう。
だいたい、サヨクの業界というものは「難しい事を言った方がエライ」という珍妙なヒラエルキーが永らく支配した領域であり、それぞれ競って俗人には理解不可能な新説をどこかから拾ってくる事を「理論作業」と呼んできた。
ことにイキったサヨクは「おフランスの現代思想」を拾ってくるのがエライとされ、わっけわからん横文字が飛び交うのが常であった。
まあこんくらい言うといたら、多少は衒学趣味の誹りをなんとかできんかと思うわけであるが。
俺の周辺で語られていたのは「天皇制=国家のイデオロギー装置」論という奴で、まさにおフランスのアルチュセールあたりから持ってきたもんであった。
オギャーと生まれた時から「ああ私は日本人」なんて思っている奴はいない。人間はどこかで、教育されることによって、「ああ日本人」てな自覚を植え付けられるのである。これを「ナショナル・アイデンティティの付与」とゆいます。んで、このナショナル・アイデンティティを付与する教育の為の諸々の装置、これを「国家のイデオロギー装置」とゆいます。
んで、天皇制は日本において、国家のイデオロギー装置として機能している、というお話であります。
例えば、《陛下も心を痛めておられる》教育現場への日の丸君が代強要問題というのがあります。
あれなんかは、「実務的」には、組合潰しの踏み絵として行われており、日の丸君が代闘争の敗北が、日教組の決定的な敗北を意味した。
即ち、学校というものは校長が「一国一城の主」であり、職員会議が学校自治の前提となってきたわけだが、その構造が日の丸君が代強制の過程で解体され、校長は各教育委員会に命令される「中間管理職」に過ぎないものとなり、教育委員会が直接的に教師を処分するという構造が定着した、という、これが「日の丸君が代強制」の「実務的政治」の側面です。
もう一方で、「日の丸君が代の本義」としてですな、イデオロギー装置としての役割がある。
つまり、学校行事の「感動的な瞬間」、卒業式や入学式といった瞬間が、常に「日の丸君が代」とセットになっている。卒業式や入学式による感動、精神の高揚を、日の丸君が代に対する精神の高揚へとかすめ取ろうという、姑息な作戦ですな。
「○×小学校が卒業する」ということと、「ああ私は日本人」ということとはなんの関係もないわけで、そんな事でいちいちナショナル・アイデンティティに目覚めたりする義理は本来ないわけですが、そおゆう機会をとらまえて、「国家への帰属」を強調していく。
オリンピックやサッカーやなんかも同じ構造です。この同じ狭い島国の奴が活躍していれば、「おおっ、頑張れ頑張れ」と思うわけですが、別にそんなんで「国家への帰属」が云々される義理はない。
んでさ、そおゆうイデオロギー=物語って、大体においてでっち上げでさ、別に天皇行事に歴史も伝統もそんなにないわけです。
例えば天皇代替わりの際の「大嘗祭」ってのがありましたが、あんなの、ずっっっっと長いことやってなかったのです。明治天皇が死んだ時に、折口信夫が有職故実調べ上げて、「大嘗祭の本義」書いて、でっち上げたお祭りが「大嘗祭」です。
そんなさー、大正時代に始まったような事を取り上げて「日本の伝統」もヘチマもないわけでさー、「伝統の偽造」ですね。下手したらどこぞの温泉旅館の方がよっぽど伝統あるわけでさ。
で、こういうのは歴史的に繰り返されている。
小田原紀夫が指摘していた事だったと思いますが、例えば「寂秋」というのがある。
「秋は寂しい」。こういうテーマの歌がたくさん詠まれ、我々も山が紅葉するのを見て、なんとなーく寂しくなったりする。ところが、これって、平安時代に中国から輸入された概念なんですね。万葉集に「秋が寂しい」なんて歌はひとつもでてこない。むしろ秋は「実りの秋」で、「秋祭りの秋」なのであります。
単に、平安時代の文化人が、中国で流行した最新のモードを取り入れただけだったんですね。

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