内在する可能性がどうちゃらという文章をかつて書いた。
これは一定、あちこちで紹介して戴いたので、割と読まれたようなのだが、当の批判した相手からは一切無視されて今日に至る。
私自身の動きとしては、常に私たちのような「問題児」を排除しようとする傾向に遭遇しつつも、幅広い枠組みの大衆運動へと合流しようとする指向性を執念深く持ち続けてきた。
11月23日「戦争あかん!基地いらん!沖縄のつどい」では、我々的な様式での登場を果たし、相互に大きな齟齬はありつつも、一定、互いに影響を与えあうような展開に持ち込めたのではないかと自負している。「異文化の接触」である。
つづく

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