靖国神社に関わる議論を、この間、積極的にやってきた。
敵側の論理はある意味で明解である。
「英霊に首を垂れないのは非国民である。」
「英霊の死を犬死にだなどというのは許せない」
「人が弔意を表しているのを妨害するのは許し難い。」
もちろん俺は「非国民」であるし、戦死者の死は明白に犬死にであるし、国家のために動員される弔意などくそでも食らえと思っているのであるが、そういう「非国民なわたくし」がどのようにしてできあがったのかと言うことを整理しておくのも、なんぼかの意味はあるかもしれない。もう、散々、余所で書いた話の焼き直しだけどね。一応、まとめておくのだ。
俺の爺さんの弟、という人物が戦死している。徴兵で南方に行く途中の輸送船が沈められた、という形の死である。先の尖った「軍人の墓」が建てられ、靖国に合祀され、実家にはいまだに遺族会の新聞が来ている。俺は法的には戦没者遺族に入らないと思うが、そんな遺族年金のばらまく範囲を決定する為の線引きなどは知ったことではない。
俺は俺より若くして死んだこの大叔父貴から継いだ「血」を意識しているので、遺族を名乗らせて戴く。この大叔父には子孫はなく、この人を弔う主体は俺をおいて他にはいないのだ。
で、俺の実家の納屋を掃除していた時、この大叔父貴の学生時代の荷物の塊が出てきたのである。中からでてきたのは「コミンテルンパンフレット」の「インドに於ける階級闘争」とか、改造社文庫のカウツキーや大杉栄やらなどなど。大叔父貴、一時期流行した「マルクスボーイ」であったのだ。
さて、俺は中学生ぐらいまで、今で云うところの「コヴァ」であった。
天皇それ自体が価値であり、天皇という存在に体現されるところの日本国家がどおたらこおたら、てなタイプの、最も古典的なウヨガキであったのである。
まあ、そうなったのは諸々の理由はあり、親の影響だの日教組の教育運動と称する全体主義教育のくそくだらなさだの、とゆーような理由はあったのであるが、結局の所は、よく云われるところの「世間とイマイチ折り合いがつかないあかんたれのガキが、『政治に目覚める』事で自らの存在意義を見いだした」てな話であったりする事は間違いない。(w
当然、この大叔父貴の事は、「うちから出た英霊」であり、「誇りに思う」対象であったのである。
俺の主体は激しく揺らいだ。
俺はこの時点まで、戦死者=英霊の中に、国の為、天皇陛下の為などとちっとも思わず、不本意に死んでいった人がいる、ということに、全く思い至らなかったのである。
では、この大叔父貴の死はなんであったのか。
大叔父は自分の意志に反し、皇軍兵士としての死を死ぬことを、日本国家に強要された。反戦運動が決定的に敗北し、徴兵のシステムに乗せられて唯々諾々と死に向かう他はなかった大叔父の無念たるや、いかばかりか。
自分が最も望まなかった形での死を強要される。これは「犬死」であり、「英霊」などでは断じてない。大叔父の死を「国家の為に闘って死んだ」だの「護国の鬼」だのとし、国家護持の神社に祀る、などというのは、大叔父の死の意味の歪曲であり、許し難い冒涜である。靖国神社は、死者を奉ることによって冒涜しているのである、
この戦争当時、アメリカとソ連は手を組み、当時の左翼の認識的にはファシズム連合を打倒する民主勢力であった訳だ。その、味方である筈のアメリカの魚雷によって、大叔父貴は殺された。全くの、無意味な、不本意な死。これを「犬死」と言わずして、なんと表現するべきであろうか。
で、このような死を遂げた人物が、英霊とされ、「護国の鬼」とされ、あろうことか大叔父貴を殺した日本帝国主義のおこなった戦争の正当化の為に利用されている、というのが、今の靖国神社のあり方なのである。
俺はこの大叔父貴のがらくたを発見した時期を転機に、一挙に立場を転回させ、天皇代替わりの時に左翼デビューした。
んで、ここまで極めて俺の個別的な話を展開してみせた訳だが、これは実は普遍的な話である。俺の大叔父にしても、偶然、うちが古いものが何時までも残ってるような家であり、俺の爺さんもそれを処分できずに隠しており、俺が偶然、ブツを発見した。このことによって大叔父貴の人物像は大きく転回した訳だ。偶然が重ならなければ、大叔父の戦死は自ら望まなかった形での死であることは、遂に埋もれたままであろう。
昭和初期には左翼運動はかなりの高揚を見せていたわけであって、「英霊になった左翼」などというのは、実は全然めずらしくもなんともないに決まっているのだが、そのような事実は埋もれてしまっている。「どのような思想を抱いたか」などというのは極めて個別的・内面的な問題であって、大抵は家族も彼の抱いた思想の中身を共有していない。埋もれたまま迷っている「左翼英霊」が数知れずおり、毎年靖国で彼等は冒涜され続けている、と考えるべきである。
さらに考えてみよう。「誰しも好きこのんで国の為に死んだ訳ではない」。
バリバリの国家主義・天皇主義で自ら望んだ通りに「名誉の戦死」を遂げた、という「幸福な」事例も数多くあるだろう。
しかし、戦争に動員された大多数は、徴兵されてしゃーないから戦争行った、という人なのではないのか。
俺の大叔父の死が個別的だったように、個別の兵士の死は、悉く個別的である。すべての戦死者が個人的な背景を背負っている。その個人が、国家の事情で戦争に動員され、これまた個別の背景を背負った「敵」によって倒される。不合理な、全く納得できない死。当然、遺族も納得できない。
ここで国家は靖国神社という装置を発明したのである。「戦死者は靖国神社へ行って神様になる」「みんな天皇陛下万歳!といって死んでいった」という物語が作られ、個別の兵士の死を奉る事を「国家行事」として位置付ける。そうすることで国家は戦争遺族の納得を取りつけようとするのである。(他国も同様の装置を持っている事は前提ね)
俺はこのやり方が、実に薄汚いと思うのだ。誰しも、自分の家族や友人が「犬死した」などと思いたくはない。なにがしかの「意味のある死」を死んだ、と考えたい。そこで靖国神社を介して、「国のため」「天皇のため」といった「死の意味」を配布し、付与する。「死の意味」の、国家への回収である。そして兵士の死の意味は均質化され、一律で仲良く「名誉の戦死」で「英霊」とされる。で、「犬死だった」というような言説は排除されていき、戦死者は「国家のモノ」であるかのように取り扱われるのだ。
「誰」が「なぜ」、「何のために」死んだのか。その死の意味を問う事こそが、戦死者の声に答える事なのではないのだろうか。
死者を追悼するのは、我々である。

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