男子野球部は狙っていた
この『ピッチャーは簡単に打てない』と判断した男子部監督:里崎は策を講じた
『球数を増やし、相手がバテるのを待つ』
カーブとシンカーは驚異的な変化をするため打つ手なし
だがストレートは伸びはあるが、所詮『真っ直ぐ』だ
当てることなら何とか出来る
監督は全選手に指示を出した
『ストライクゾーンのストレートを全てカット、カーブとシンカーを捨てろ』
下手したら相手の術中に嵌るかもしれない
こちらの手を読まれてしまったら、配球を変えられるかもしれない
ただそれは、相手が作戦に気付かなかったこともあり、杞憂に終わった
8回、日向の暴投を見て里崎はこう言った
「長かった。なんて投手だ・・・!」
マウンド
咲と小宮山、内野手が集まった円の中に伝令が走る
伝令とは規定でマウンドに上がれない監督の言葉を伝える役の事だ
内容はシンプルなものだった
『最後まで投げぬけ』
それを聞かされた咲はちらりと監督とブルペンを見た
監督はいつもの如く腕組みして突っ立て入る
ブルペンはがらんどう
少し考えたら続投は当然だ
誰が完全試合ペースの投手を8回で下ろすのか
「よっしゃあ!」
咲は気合をこめて、グローブをバスンと叩いた
ここは自分を奮い立たせるしかない!
小宮山が耳元で囁く
「リードは変えない。だから多分打たれると思う。けど咲、周りを見て」
咲はその言葉で初めて回りを見渡した
自分の為に集まってくれている内野手
視線が向いたことを気付き手を振ってくれる外野手
そうだ!
野球のディフェンスは1対1ではない
1対9なのだ!
数の上では圧倒的有利なのはディフェンスなのだ
小宮山が肩を叩く
「ここからは打ち取っていくぞ!」
「はいっ!」
咲の元気一杯の返事を聞いた他の選手達は、己の守備位置へと戻っていった
咲は気持ちで投げる傾向が強い
そのため、課題は精神的に安定しない立ち上がりと後半
自信を取り戻した咲に、もはやスタミナ切れなど関係なかった!
2球目
ボールゾーンからカーブが決まり1ストライク
3球目
逆に曲がるシンカーを見逃し、2ストライク1ボール
4球目
真ん中低めのストレート
ガッキイン
セカンドに鋭い打球が飛ぶ
パシィン
セカンド上本キッチリ掴み取り、一塁送球アウト!
続く5番荒井を初球シンカー空振り、2球目高めストレートでセンターフライ
ウォーニングゾーンの手前までボールは飛んだが、センター柴田の俊足で悠々アウト
さらに6番ブラッズは初球のカーブを見送り、2球目カーブを空振り
そして3球目。渾身のストレートが外角一杯にズバンと決まり三球三振!
8回表が終了した
ベンチに引き上げる咲を監督が迎え入れる
「咲、今何球目か知っているか?」
「いえ・・・知りません」
「まあ、今はそれでいいかもしれんがな・・・」
「今・・・は?」
「おうよ・・・これから先は、もっと自分を知りながら野球をしなければいけないぞ」
咲は監督の言葉の意味がイマイチ理解できなかった
8回2アウトランナー無し
咲に出番が回ってきた
監督からのサインを確認する
投手が2アウトで打席に立つ場合、疲労面を考慮して『三振』の指示を出すことがあるからだ
サインは・・・『打て』
咲はヘルメットの鍔を持ち、クイっと被りなおし、打席に立った
一礼してから悠然とバットを構える
その構えは、第1、第2打席と違い余分な力が一切入っていない
相手投手はここまで完全試合の野海
2三振で当たる見込みゼロ、さらに投手とあって彼の心に僅かな隙が生じていた
今日の試合、初めて相手を舐めたのだ
初球のストレートだった
咲は今までに無く最短距離でバットを出し、打球が当たる瞬間だけ「ぐっ!」と歯を噛み締めた
キィイイイイン!!
打球はレフト方向へ高々と舞う
レフトは一歩も動かず、ただ打球を見送るだけ
ボールが外野フェンスを越えた場所に落ちると同時に三塁審判がくるくると手を回した
日向咲のホームランで女子野球部が1点先制
それも8回裏という非常にタイトな場面
9回、ダイヤモンドを一周する投手が無失点で切り抜ければ試合は終わるのだ
咲は両手でガッツポーズをしながらホームイン!
ベンチに戻った咲は、首を捻った
「あれ?なんで打てたんだろう?」
「そりゃあ、相手の失投さ」
答えたのは監督:徳川
「そうでしょうね。明らかに緩いボールでした。けど・・・」
「お前が疑問に思っているのは自分バットに当たった事だろ?」
「はい」
「疲れた状態で『力み』が消えたからだよ。バッティングに力なんかいらないのさ。叩くよりも運ぶ。これが基本さ。」
「叩くよりも運ぶ・・・か」
「そこいら辺は里崎の方が専門職だから教えるの上手いよ」
「はい!・・・え?」
咲はその名前を見て、男子部のベンチを見た
男子部の監督の名前だったから
「おい咲!最終回、出番だぞ!」
小宮山の声で我に返る咲
「あ・・・はいっ!」と返事をし、慌ててマウンドへと走っていった
9回、今度は相手にプレッシャーが掛かる
立ち直った日向咲相手に何としても1点を取らなければいけない
それが『力み』へと繋がっていく
7番城は明らかにスタミナ切れを起こしている咲の甘いストレートを強引に引っ張りサードゴロで1アウト
8番林、カーブを強引に打ちにいき、態勢を崩されセカンドフライ
2アウトランナー無し
バッターは代打:関元
初球のストレートは高めに浮いてボール1
二球目同じく高めのストレートが浮き上がってボール2
咲のロージンを触る回数が増えた
握力が限界に来ている
三球目、ストレート、内角へ胸元に飛び込み、空振りを誘い1ストライク2ボール
相手がストレートレ狙いなのは百も承知
だからこそあえて決め球まではストレートで引っ張る
アバウトになったコントロールのお陰で相手が狙いを絞れなくなっているのを小宮山は気付いたからだ
4球目:これも内角ストレート
関元は待っていましたとばかりに力強く振りぬいた
カッッツキイイイン!!
肘をたたんて打った打球はレフト方向へ!
咲の時と同じような放物線を描いていく
全選手がボールの行方を追う
ファウルラインの内か、それとも外か!?
打った関元も確認しながらゆっくり1塁へ走る
ワアアアアアアアアアアアアアアア・・・・・・・・・・・!!!
歓声が起こった
白球が通過したのはライン延長線上の僅かに外側!
ファール!
観客は咲達女子部の味方だ
「・・・・・」
無言でバッターボックスに戻る関元
最も打った本人はその手応えから“切れる”事は分かっていたのだが
5球目を前に、動き出したのは男子部ベンチだ
既に疲労困憊で、コントロールを失ったストレートを多投するバッテリーに警戒心を抱いたのだ
「決め球は変化球で来る」
そう考え始めたのだ
小さな不安は最終回2アウトという状態に発生すると、猛烈な速さでベンチに広がっていく
そしてベンチが動いた
サインを変化球狙いに変えたのだ
咲や女子部ベンチはそれに気付いていない
2ストライク2ボール
バッターボックスの立ち居地・・・先ほどよりも僅かに後ろ
それを小宮山はそれを見逃さなかった!
咲にサインを送る
「!!!」
咲は首を横に振った
この試合ではじめての事だ
小宮山はもう一度サインを送る
「!!!」
咲は再び首を振った
小宮山は三度サインを送る
「・・・・!」
ついに咲が首を縦に振った
グラブを構え、ぐいっと腕を振り上げ、プレートを踏み重心を落とす
同時に振り下ろされる右腕はマウンドから高さ3センチを通過していく
「ひゅっ!」
息を吹き出すと同時に全ての力を込められた白球は咲の手元を離れた
ヒュンッッ!!
バッテリーが選択したボールは・・・!
「・・・・!!」
変化球待ちだった関元が!
見送ることしか出来なかった!
バシイイインッ!!
外角低め一杯のストレート!!
判定は・・・?
「ストライク・スリー!!ゲームセット!!」
審判が高らかに試合終了を宣言した
既に立ち上がっていた小宮山と、投球を終えた状態で固まっていた咲が両手を挙げた
「やったああっ!!」
「ベストショットだ咲ーーーーーーーっ!!」
マウンド上で抱き合う2人
そこへ駆けつける内野手、遅れて外野手
きゃっきゃきゃっきゃと喜ぶ女子部員達
「こらーっ!!早く整列しろーーーーーっ!!」
監督の怒号がマウンドに飛んだ
【スコアボード】
男子部 000000000 0
女子部 00000001× 1
<女子部の勝利は史上2回目>
勝:日向(完全試合)、負:能海
本塁打:日向

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