心のナイーブな部分がミシミシと音を立てていたのでしばらく休んでしまいました。
そうして俺がおとなしくしている間にも世間では様々な出来事が起こっている。その殆どが悲しいことや、腹が立つ事ばかり。
そんな中でも、毎度の事というか、もういい加減にしとほしい事が一つ。それはある事件についての
マスコミの報道、及びコメンテーターの言動。
茨城県で起きた男性刺殺事件だ。
この事件そのものについては、自分の考えを公表するほどの情報も見識も無いので特にコメントはしない。ただ、テレビで拝見した遺族の方々の余りに気丈な態度には驚いた。あれを見て「なんだ、この親は、あまり悲しくないのか」などと、とんでもない誤解する者がいないかが心配だ。
こういう猟奇的かつ動機が不明な事件が起こる度にやり玉にあげられる物がある。
「加害者は日頃からテレビゲームに夢中だった」
どの番組見ても同じ。コメンテーターが鬼の首取ったが如くテレビゲームが加害者を犯行へ駆り立てたのだと鼻息混じりに熱く語る。ゲームのやり過ぎが彼の人格をねじ曲げてしまったのだと。
この人達、一応コメントすることで金もらってるプロなんだから、もうちょい自分のオツムで考えた自分の言葉で喋れないものなのだろうか。
あれでいいならだれか一人がコメントして、それをオウムに覚え込まして喋らせれば番組は成立する。ギャラは餌代だけで済むし。
大体テレビゲームが脳に悪影響あるかってね
あるに決まってるじゃん。
テレビゲームとは、詰まる所快楽の追求、ようするに酒、タバコ、ギャンブルなどと同じ娯楽。
当然やりすぎれば害もある。そして中毒性が高い事も共通する。
こんな事は少し考えれば誰にも分かることであって、わざわざお偉いコメンテーターの方々が公共の電波を通じて低次元なシンクロニティを起こしてもらうまでも無く、ゲーム(というより娯楽全般)をやりすぎるとよくないのは当たり前。
で俺が何を言いたいのかと言うと
「だからゲームが悪いのか?」ということだ。
こういう事件が起こるたびにその原因をゲームの存在そのものに求めるのは、余りにも短絡的であり幼稚な発想だ。
酒を飲んで車を運転した人をひき殺しても、飲んで運転したドライバーが悪いのであって酒そのものが悪いのだと言う人は少ない。
しかし何故かこの
「酒」という言葉がが
「ゲーム」に変わったとたんに不可解な反応を示す方々がいるのが俺には到底理解出来ない。
マスコミ、コメンテーターの方々は、
ゲームの事をよく知りもしないくせに何故かゲームが精神や人格に与える影響や、犯罪との因果関係は分かってしまうという超常的な発想まで持ち合わしておられるらしい。本当にタチが悪い。
ゲーマーである俺本人も、実際の所よくわからないし、何よりその因果関係を裏付けるにはゲームの歴史自体が浅すぎる。最低でも後20〜30年ぐらい待たないとデータは揃わないだろう。
ようするに今の時点で
「ゲームが人格に悪影響を与える」は
「コーラを飲むと身体中の骨が溶けてボロボロになる」というのと同じくらいトンデモ科学(心理学?)なことかもしれない。
そんな段階にあるにも関わらず、無責任な発言でゲームという文化を殺そうとするコメンテーターやマスコミには本当に腹が立つ。俺から言わせれば彼らこそが悪だ。
ただ俺個人としてはゲームをやりすぎると人体への悪影響はあると思う。
ただそれはゲームそのものが悪いと言うよりは、ゲームを一日中、しかも毎日毎日し続けることが可能な状況の方にこそ問題がある。
家に引き籠もり、社会との関わりを無くして、四六時中ゲームに没頭すれば、そりゃおかしくもなるって。
娯楽ばかりして生きていければ幸せかもしれないが社会で生きていくには、学習も、労働も、人との付き合いは欠かすことは出来ない。
しかしそのどれも出来ない(又はやる意志が無い)人間がいることも事実。そんな社会性の無い人間がたまたま一人でも楽しめるゲームに興じていたとして、その人からゲームを奪えば立派な社会人になるだろうか?
ではその人間がサンマの塩焼きが好きだったらどうする?サンマの塩焼きを取り上げてサンマの蒲焼きに・・・
ようするに、テレビゲームというのはマスコミやコメンテーターにとって
説明が難しい事件に対しての都合のいいスケープゴートだということなのかもしれない。
そんなしょうもない理由だけで、日本が世界に誇るべき文化であり産業でもあるゲームを殺そうとすることは一ゲーマーとしては許しがたい行為だ。
俺はそんな連中に断固抗議(という訳でもないが)すべく、今後も硝煙の臭が絶えない、残虐行為手当てで、無差別絨毯爆撃上等な、デストロイ・ノーフューチャーゲームをプレイし続ける所存だ!たとえ精神が崩壊しようとも(ダメじゃん)息絶えるその時までコントローラーは離さない!

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