弁護士「異議あり!!被害者の証言と、この証拠には、大きな矛盾があります!」
傍聴者「おおっっ!」
検察「くっっ!」
裁判官「でも有罪」
弁護士「えっ?・・・・・」
GAME OVER
ゲームボーイ・アドバンスで人気を博している(最新作はDS)逆転裁判シリーズでありそうなシーンを再現。因みに俺は未プレイ。
新しい証拠を見つけ出し、事件の根本的な矛盾を付き、判決をひっくり返す・・・・・ゲームならここで無罪判決が言い渡されステージクリアという所だが、現実はそうもいかないようだ。
2002年9月16日、静岡・御殿場で起きた強姦未遂の罪に問われた元少年四人に一審に続き二審も実刑判決。
この事件に関する様々な記事を目にしたが、そのほとんどが「冤罪」という加害者擁護の論調である。
事件の経緯を簡単に説明すると、
2002年9月16日ある女子高生が10人ほどの男達に暴行を受けたと警察に被害届を出す。
女子高生の供述により少年Aの名前が上がり、少年Aとその仲間9人を逮捕。
取り調べの中で少年らは犯行を自供。
しかし一審で少年らは一転、無罪を主張。判決は懲役2年の実刑判決。少年らは控訴。
そして2007年8月21日、二審で懲役1年6ヶ月の実刑判決が下された。少年らは同日控訴。
という流れ。
裁判長は判決の理由として「少女の供述」を挙げている。
俺は法律や裁判についての知識はほぼ皆無に等しい、しかしこの判決理由はどうしても理解できない。事件の証拠は、被害者の供述だけでも証拠として採用されてしまうのか?
しかもこの少女の供述自体にも不可解な点がある。事件当初「9月16日」と語っていた犯行日は、捜査途中で「やっぱり9月9日だった」と供述を一転させる。
少年たちも自白の中で犯行日「9月16日」と語っているので、これでは完全に矛盾が発生してしまうので当然捜査はやり直し・・・・・にはなってないらしい。
それにしても不可解なのは一審の判決。懲役2年から二審で6ヶ月減刑された理由が「被害申告に問題があった」としているが、要するに被害者の曖昧な供述により、裁判が長引いた分だけ刑期を短くするということ何だろう。
しかしこれは有罪が確定しているのが前提の上での措置であって、常識的に考えて、それに伴う捜査のやり直し、証拠、被告人の自白の見直しの必要があるはずでは?
どこの記事を読んでも、その殆んどの記事が被告人擁護の立場を取っているので、この事件についていくら調べても「冤罪」のイメージはどうしても色濃く出てしまう。
今までに得た情報をここで全て挙げていけば、誰がどう考えれても冤罪だという印象を抱くだろう。
でも敢えてここでは書きませんので、興味のあるかたは「御殿場 冤罪」でググって下さい。山ほど出てきます。
中学の公民の授業で、「自白を証拠にすることは出来ない云々」という憲法条文を習った記憶が脳の片隅にこびり付いていたけど、これは何かの間違いだったか。それとも憲法が改正されたか。いやそれは無いか。
一番気になる所は警察の捜査そのもの。事件当日(最初の供述通りなら)に少女は被害届を出しに来てる。ならば警察は少女の衣類などは重要な証拠として押さえるべきだが、押さえてないらしい。
結果ロクな証拠も出ないまま裁判が始まり少女の曖昧な供述と、大人でも落ちてしまう厳しい取り調べの末引き出した少年らの自白を以て立件してしまった。そしてこれが証拠として採用され有罪になった。
こうなって来るとやっぱり疑ってしまう。メンツがどうとか何とか。
「怠慢こいてロクな捜査してなかったからちっとも証拠が出ないけど、少女が訴えてんだから間違いないだろ。後は少年らに揺さぶりかけてゲロさせりゃいいか。被害者も大分疑わしいけど、これで無罪とかになったら逆に訴えられるだろうし」
みたいな恐ろしい裏事情ありそうな気がしてならない。
でもね、こういう事言うのはどうかと思うけど。元少年らは不利だと思うよ。
元というだけあり、少年達は既に成人し公の場に姿を見せている。
自己表現とか何とかもあるだろうけど、もうちょい身なりや喋り方に気を配れば、他人が受ける印象も変わるだろう。
もっとはっきり言えば、よくいる素行の悪そうな人の典型。要するに不良。もっと言えばDQN
仮にこの事件が本人達には何の落ち度が無いとしても、現に訴えを起こされ判決まで受けている状況で、尚且つマスコミにも取り上げられ日本中の人間にその姿を晒している。
その中にあっても世間に媚びる事(ルックスの話)無く自己のアイデンティティーを突き通す。
格好良いと思ってやっているんだろうけど、自分の身を守る上では何の役にも立っていない。むしろ身を危険にさらしている。
非常恐ろしい事だが、彼らが喋る映像を始めて見た時、俺は正直言って「こいつらやってるな」と思ってしまった。事件の不可解な点や弁護士側の主張を知るにつれ段々分からなくなってきた。しかしこれが現実だ。
この裁判は本人達の人生を決める上でも大きな意味を持つ戦いだろう。そして司法、警察の在り方についても。
その戦いが終わり結果を下された時、元少年達が喜びに満ち溢れるか、怒りと悲しみに暮れるかは分からないが、後悔だけはしたくないだろう。
裁判官は法の元に判決を下すと言うが、やはり彼らも人間だ。その判決の中に個人の感情が含まれる事は無い事は無いだろう。
それは最高裁までいけば尚更の事。世間の注目は高まり、裁く側も十分考えた上での判決を下す必要がある。事実、最高裁で判決が覆る事は少なくない。
しかし判決が覆り、無罪が確定したとしても、元少年達にとっては喜ばしい事ではあるが、一方で犯罪(特に性犯罪)の被害者が疑われる、訴え自体を起こしにくくなるという危険も孕んでいる。
警察にしろ司法にしろ、国民の人権を守るために存在しているはず。もしその2つが自分の身を守ってくれないとすれば・・・・・元少年達はせめて公の前に姿を見せる時にはピアスを外して、イキった服装もやめて、髪型もきちっとし、もう少しきちっとした態度で自分の立場を説明するべきだ。
そうすれば警察、司法が助けてくれなくても、世論を動かす事が出来るかもしれない。それが本人達を救う事になる事は十分あり得るのだ。

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