俺には嫌いなテレビ番組が二つ有る。
一つはグルメ番組(他人が美味いものを食っている所を、ただ見るだけなんて拷問に等しい)で、もう一つは学校の先生を集めてする、討論番組だ。
昔はちょくちょく見ることも有ったけど、最近はチャンネルを合わせることすら無い。
正直、理由は自分でもはっきりしない。ただ分かるのは見ていて何かモヤモヤとした感じを抱く。
俺自身、先生に対して恨みや嫌な感情は無い。というか好きだ。今でもお付き合いさして貰ってる先生もいる。
幼稚園から思い返して、俺に係わった先生に悪い先生は居なかった。当時も今もそう思える。こんな俺は稀なケースなんだろうか?
それでも、先生達による討論番組は嫌いだ。なんだか見ていられない。
先生は好きだったが、勉強はちっとも出来なかった。それでも、俺を見離す先生は誰一人居なかったと思う。(諦められていたのかもしれない)
小二の時、俺が珍しく宿題をしてくると、先生が興奮した面持ちでしゃべりだした「今日はみんなにニュースがある、なんと○○さん(俺のあだ名)が宿題をやってきたぞ!」「おおー!(クラスメイト)」沸き上がる拍手・・・照れる俺(バカ過ぎ)
テストがさっぱり分からず、答案用紙の裏に壮大な落書きを書いたら、その落書きに点数とコメントを書いてくれた先生もいた。
俺のバカ自慢をしてもしょうがないが、なんせ学校自体が楽しかった。殆ど皆勤賞に近かったと思う。(でも遅刻が多すぎた)
そんな愚鈍な俺は当然よく叱られもした。殴られ、蹴られ、廊下に立たされ、突き飛ばされ、首絞められ、乳首摘まれ・・・それでも、学校や先生が嫌になった記憶は無い。俺がタフ過ぎたのか、マゾだったのか。
話を戻すが何故、先生達の討論番組が嫌いなのか、昔を思い出してみて段々分かってきた気がする。
先生達がなんか可哀相に見える。
世の中の問題全てを、先生(学校教育)に押しつけてるような気がしてならない。
先生の出来る事にも限界は有る。どんなに先生ががんばっても、俺みたいな偏差値下げるしか脳の無い奴も生まれるし、かと思えばその横の席で将来は世の中を動かしていくであろう秀才も出現する。
はっきり言って俺は、昨今の教育問題について何の意見も無い。というか俺に分かる訳が無い。
ただ思うのは、先生を尊敬しない生徒が増えているのは良くないと思う。先生に問題があるのか、親に問題があるのか分からないが、尊敬出来ない人間の言うことを聞くことは出来ないだろう。
「体罰が禁止されてるから、生徒は先生の言うことを聞かなくなった」とよく耳にするけど、俺は先生に殴られるのが恐かったのは一年生の一学期までだ。後は殴られようが蹴られようが、全く堪えないようになってしまった。しかし、だからと言って先生の言うことを聞かなくなってしまった訳では無く、先生の言うことはある程度聞いたし、叱られれば後悔もした。つまり殴られるのが恐くて云々では無く、先生が言うんだから聞かなくてはいけないという習性が最初から有った気がする。
先生に憧れもした。先生という職業に憧れたのでは無く、先生の人格に憧れた。こういう大人に成りたいと心底思ったものだ。
討論番組に登場する先生方は、少なくとも尊敬される存在では無い。それは先生の資質がどうと言うより、周囲を取り巻く空気だ。何か凄く虐げられてる感じがする。先生も人間だ。ただのニイちゃんであり、ネエちゃん、オバはんであり、おっさんだ。聖人君子でもなんでも無い。それでも先生は先生で有り続けなければならない。俺のようなアホからも尊敬されるような立派な先生として。それには周囲のバックアップが必要だと思う。先生は偉いんだという雰囲気作りが必要なのかもしれない。
最近の先生の立場は本当に弱い。ニュースでは学校の先生による犯罪、事件が日々報道され、PTA、親の立場はますます強くなり、生徒や親のご機嫌を伺ってるような先生が多過ぎる印象を受ける。親すら尊敬していない人間を子供が尊敬出来るはずが無い。

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