活かすも殺すも編集次第。
物事の創作作業には必ずと言っていいほど、この「編集」という作業が必要になる。
番組制作では編集一つで芸人のネタ(出来に関係無く)がスベった様にも、ウケた様にも観せることが出来るらしい。なんと恐しいことか。
映画なんかでも編集でいじればストーリーすらも変えてしまうことも出来るようだ。
様々なジャンルに関わってくる編集作業。無論それは作曲に関しても同様の事。
様々なパートをくっつけて一つの曲に仕上げる。パートの選択、位置、回数、それらを曲の魅力を最大限に引き出すように編集する作業が如何に大切で、尚且つ困難な作業かは作曲を経験した者なら承知の事だろう。
この編集作業だが、最近テレビを見ていて、ある事と共通点が有るのに気が付いた。
それは「間伐」だ。
最近、日本の森がやばいらしい。そう聞くと森林を伐採し過ぎて森が無くなってきているのかと思ってしまうが、全くの逆、木を切らなくなった事が問題らしい。
「森の木を伐採すると木が無くなる。木を切らなければ森は豊かになる。」これはごく一般的な考え方だと思うし、現に俺もそう考えていた。
だが実際は違うらしい。
今の日本の森林は伐採が行なわれなくなった事により、危機的状況にあるらしい。
音楽の話からだいぶ逸れてしまっているが、気にしないでほしい。俺の文章の編集能力が不足しているだけのことであるからして。
日本人は昔から木を愛し、木を利用することで発展してきた。昔の家、家具、農具をみればよく分かる。ようするに日本人は大昔から森を伐採し続けてきたわけだ。それでも森は枯れること無く、今でも日本の国土を覆っている。
その森が今、なぜ危機的状況にあるのか?それは「間伐」をしなくなった事に原因があるらしい。
日本は世界でも有数の木消費国だ。しかし現在は、その木の殆どを輸入に頼っている。
我々が普段使っている割り箸もその殆どが中国からの輸入だ。国土の7割が森なのに、なぜ輸入に頼らなければならないのか?それは、自国の木では足りないのでは無く、輸入したほうが遥かに安いからだ。
安価な材木を輸入出来るようになった日本は自国の木を切らなくなった。一見、外から見れば豊かに見える日本の森。だがその中に入れば森に起きている異変に気付く。
確かに木は沢山生えているが、他の植物は殆ど育ず地面が露出している。木が多すぎて光が地面まで差し込まないからだ。
結果、土が痩せてしまい、一見立派そうに見える木も根が育たず、手で押しただけで倒れてしまうほどにもろい。地滑りも起こりやすくなる。
間伐をきちんと行なっていれば、こんな事にはならないらしい。木を殺す(切る)事が、実は森を活かすことになるのだ。深けぇよ。
これは、森に置ける「編集」と言えるだろう。
素晴らしいと思えるフレーズが出来たのにあえてそのパートを没にして、結果、曲全体を引き締めることになる。その没にしたパートは後に別の曲の一部となって甦る。間伐によって間引かれた木は勿論、材木として利用される。森にも作曲にも無駄は無いのだ。
森も曲も編集次第で良くもなれば悪くもなる。何でもかんでも残すのでは無く、無駄な所を省いて全体をより良くする作業が大事だということを森から学んだ今日この頃。
ああ、俺の人生も「編集」したい・・・

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