今日は音楽のジャンルについて一言。
音楽が誕生してから今日まで、様々なジャンルが生まれ、その発展と共に細分化が進んでいる。
大きなカテゴリーに、ジャズ、ブルース、ロック、レゲエ、フラメンコ、などがあり、その中のでロックを更に細かく分けると、ブルースロック、アメリカン・ロック、ブリティッシュ、プログレッシブ・ロック、ファンク・ロック、ハード・ロック、パンク、メタル、などに分けることが出来る。
ジャンルの細分化が進んだ理由は、二つあると思う。
まず、音楽の情報を共有する上での共通言語として、平たく言えば、他人に音楽を語る時に分かりやすくする為に付けられた。という事が挙げられる
もう一つは、他のジャンルとの差別化だろうか。これは、色々な要因が重なる結果だと思うが、新しい音楽を生み出す(後付けの場合もあるが)時に、その特異性を、リスナー及びクリエーターが主張する場合にジャンルの派生が生まれる。
今回、俺が言いたいことは、そのジャンルの細分化に伴う弊害だ。
とりあえずロックに焦点を当てて話していく。
ロック好きの者であればさきほど挙げたジャンルを、より細かく分けることができるだろう。それ自体が悪いことでは無い。
音楽媒体の流通は進化し、家に居ながらにして、地球の裏側のインディーズバンドの音源に触れることすらも可能な時代になった。しかし、個人が音楽に掛けられる時間は変わっていないので、その膨大なソースの中から選択しなければならなくなった。聴ける音楽が増えたということは、逆に言えば聴けなくなった音楽が増えたということだ。
良い音楽を聴きたいと思うのは誰もが思う当然の事であり、気に入ったバンドが見つかれば、そのバンドが属するジャンルを掘り下げ、自分の嗜好に即した音源を聴き続けることに従事する。細かいジャンル分けと豊富な情報が容易に手に入る近年の状況なら、何の不自由もなく、誰でもそういった音楽ライフを形成出来るだろう。
だが、そこに大きな落し穴が存在する。
ジャンルの細分化と、個人では持て余す程の情報量の増加は、一見便利で、華々しい物に思えるがその実、個人から多様性を奪い、自由な発想を阻害しているという状況を生んでいる。
ロックが輸入されだして生まれて間もない頃、ジャンル分けもシンプルで、情報も少なく、耳に入ってくる音楽は少なく、入ってくること自体が貴重という時代があった。
リスナーに選択する自由など無く、ラジオで流れた曲、苦労して買ったレコード、来日するアーティスト、供給される量自体が少なく、情報を共有するにもジャンルを細分化する必要自体が無かった。
今の人の感覚からすると、何と不便な時代かと思うことだろうが、そんな状況が生み出す副産物もあったのだ。
それが多様性である。
昔のリスナーには今のリスナー程の、ジャンルの垣根が無かった。
キッスと、ディープパープルと、ピンクフロイドと、グランド・ファンク・レイルロードを同列に語れたのだ。
これはどういう事かと言うと、ロックを扱うメディアも、店頭に並ぶLPの数はも今に比べれば少ない状況で、自分の嗜好に関わり無く吸収していくしかない。その結果細かいカテゴリーに囚われる事無く、誰もが自然と多様性を身につけるに至るのである。
リスナーにとって幸福と思える今の状況は、独り暮らしの食生活に似ているかもしれない。
家で親が用意する食事、または給食などは、一般的に本人の嗜好が優先される物では無く提供される。
独り暮らしになれば、自分の嗜好に合わせ、気が付けば同じようなメニューを口にする機会が増えているはずだ。
生まれてすぐ独り暮らしするケースは考えにくいので、食に関する嗜好を形成する機会はあるはずだ。
しかし音楽はどうだろう。
ちょっと長くなってきたので次回に続きます。

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