最初に疑問に感じたのは、冥王星追放の知らせを聞いたとき
何故このときに、追放されなければいけなかったのか?
一日でもずれればこのシナリオは完成しない(コレは確実に意図されたもの)
別に2006年8月24日でなくともチャンスは腐るほどあったはずなのに
2006年8月24日でなければいけなかった
そして、ほかの事柄とのシンクロ性を考えれば(全てがシンクロする確立は?)
まだはっきり計算していませんが、天文学的数字になることでしょう
この事柄が道徳的でないことは明らかでしょう
ミクロな視点で観ると偶然か必然かに分けられるが
マクロな視点で観れば偶然か必然かではなく
出来事が有った無かったのどちらかで
人間はミクロの視点で観ることを封印されているとすれば
偶然も必然も大して変わりはないということ
それも含めて、全ての事柄がシナリオのコマかもしれない!!
と、思うしだいで・・・ワールドシナリオ理論とでもいいましょうか
私が思うに、我々はプログラマーでありプレイヤーでもあるということ
自分で仕組んだ世界(シナリオ)を
プログラマーとしての自分(記憶)を封印し、そのシナリオをプレーして
世界の構造(真実)を解き明かしていくみたいな感じで・・・
私が解読を進めている事柄は
ワールドシナリオ理論の証明の一段階目みたいなものです
ゲームで例えると
まずはじめにプログラマーがゲームを作る
そしてプレイヤーがゲームをプレイしてクリアする
「わたしはアルパであり、オメガである」
ヨハネの黙示録のこの言葉は
「わたしはプログラマーであり、プレイヤーである」
に当てはめることが出来る
では、ワールドシナリオ理論が、もし正しいとするなら
この世はいったい誰の世界であろうか?
各自、自分のもの・・・と、誰もが言いたいところだが
間違っていれば世間から冷ややかな目で見られることは明白
だから、まず証明しなければならない
世界が巧妙にプログラミングされたシナリオだと・・・
だから私は、2012年12月22(23)日に
世界が混沌を見ると言い切らねばならない
人々・・・それ自身が神々である事を証明するために・・・
疑問をもたない人はそれでいい
自分が作った籠の中で何も知らずに飼われていればいいのだから・・・