きのうの日記「これた」についてコメントをいただきありがとうございました。
その続きというか発展として「ら抜きことば」について書いてみます。
このブログは同業者の読者もいらっしゃると思いますが、まずは、「日本語を話しているけど、日本語について客観的に考える機会はあまりない」という方たちのために、基本的なところから…
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日本語の動詞は活用から「五段活用動詞」「一段活用動詞」「サ変動詞(する)」「カ変動詞(来る)」に分類できる。日本語教育では前の2つをグループとしてとらえ、「する」と「来る」はイレギュラーとして教える。
さて、一段活用動詞の1つ「食べる」には「食べられる」という形があるが、それはどんな時に使うだろうか?
1 彼はオーストリア人だけど、納豆も食べられるそうだ。
2 戸棚に隠しておいたお菓子を、息子に食べられてしまった。
3 よろしかったら、もう少しサラダを食べられませんか?
1は可能、2は受身(間接受身、迷惑の受身)、3は尊敬語。つまり「食べられる」という形には3つの用法があるのだ。
3は「召し上がりませんか?」「お食べになりませんか?」などと他の形を使った方が誤解がないので、「られる」で言わない人も多いだろう。
2の受身には「池の金魚はネコに食べられてしまった」という直接受身もあるが、いずれにせよ「食べられる」以外の形はない。
では1はどうか?「食べられる」と言うと受身みたいだから、「食べれる」にしよう!
1b 彼はオーストリア人だけど、納豆も食べれるそうだ。
こうして使われるのが「ら抜き言葉」と言われているものだ。コメントにあったように、関西弁からの影響もあるかもしれない。
上の例を見て「なんか変じゃない?やっぱり正しくは「食べられる」でしょう?」と思っている方も、知らないうちにけっこう使ったりしていると思う。
・ おなかいっぱい!もう食べれない!
・ これ3日前に買ったんだけど、まだ食べれるかな?
・ 友達のうちでウサギの料理を出されたんだけど、どうしても食べれませんでした。
イマドキの若者はなんの抵抗もなく使っているはず。そして、「もしかして間違っている?」などと考えない人も少なくないはずだ。テレビのアナウンサーはまだ言わないはずだが、ドラマなどでは出て来るので、年配の人たちも自然に使うようになってきたように思う。(実家の母も最近は使っている)
一方、一段動詞やサ変の「する」は可能形と受身形が異なる。(ここから尊敬語は省略)
「書く」→可能「書ける」、受身「書かれる」
「帰る」→可能「帰れる」、受身「帰られる」
「する」→可能「できる」、受身「される」
そう。「ら抜き」になるのは一段動詞とカ変の「来る」なのだ。
・ 友達が3時に来るって言ってるけど、私、その時間までいれないよ。困ったな。
・ 風邪を引いて、先週の試験は受けれませんでした。
・ 6時集合?そんなに早く起きれないよ!
・ 最近の電車は窓が開けれませんね。
・ メールに写真を添付したんですけど、見れましたか?
どうだろう?「ら抜き」でもなんとなーく抵抗があるものを、全然ないものがあるのでは?
「来る」に至っては
・ 明日は10時に来れますか?
・ 来れない時は、ちゃんと連絡してください。
・ 病気が治って、また学校に来れるようになって、よかったね。
で、とどのつまりは「おかげさまで、ここまで来れました!!」だ。
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日本語教育のほとんどの教科書では(実は例外もある)、「来られる」「いられる」「受けられる」「開けられる」のような「ら」を抜かない形を採用している。というか「ら抜き」は一応間違いだと教えているのだが…うーむ。でも、「みんな使っているから、もう正しいよ。使っていいよ」と教えて、どこかの試験で×になったり、年配の人に「間違っている!」と言われたらかわいそうだし…と迷うのだ。
私はこのまま定年まで働くことが出来れば、あと20年近く日本語を教えているはず。それまでには国語審議会が「ら抜き」の可能形も正式に認めるのだろうか?
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余談だが、「る」で終わる一段動詞「帰る」「走る」「さわる」(否定形が「〜らない」のもの)の可能形は「帰れる」「走れる」「さわれる」だが、「ら抜き」を使わないように注意していると、これらも「あれ??『帰れる』でいいんだっけ?『帰られる』は受身と尊敬だけだから、やっぱりいいんだよな…」と考えることも多い。そんなのいちいち考えてたら、ストレスで体に悪い??でもなーーんにも考えずに話していたらボケそうだ。
追記
友達にもらった円谷プロのDVDを見たら最初のDVD取り扱いの注意で、ウルトラマンがザラブ星人たちに「見れなくなっちゃうよ!」と言っていた…。「ら抜き」は光の国でも進んでいるようで…。

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