明治45年(1912)18歳の乱歩は愛知県立第五中学校を卒業した。しかし、父親の事業の失敗により苦学をしいられるが、早稲田大学の予科に合格し、単身上京。そこで、ポーやドイルを読み、探偵小説の面白さを知った乱歩は「自治新聞」の編集に従事し、政経学部在学中よりポーやドイルを耽読、習作翻訳を試みる。
22歳で大学を卒業した後、大阪の商社に入社。その後、職を転々とし、23歳の時、三重県鳥羽造船所に勤務。25歳で結婚する。大正11年(1922)28歳の時、筆名を江戸川乱歩とし、『二銭銅貨』『一枚の切符』を森下雨村に送り、大正12年(1823)「新青年」にのる。同雑誌に傑作をつづけて発表。大正14年(1925)31歳で『心理試験』『D坂の殺人事件』を発表した。その後『蜘蛛男』、短篇集『明智小五郎』、『陰獣』など数々の作品を生み出していく。
昭和11年(1936)42歳の時、初めての少年物「怪人二十面相」を連載。 その後も『新宝島』『幻影城』など30年近く続く活動にて数々の代表作を発表しながらも、昭和40年(1965)70歳で脳出血のため自宅にて逝去した。
日本に探偵小説という新しいジャンルを創立し、大衆文学の世界や少年小説の分野でも熱狂的な人気を集めた江戸川乱歩の作品は、いまも多くの読者に読み継がれている。昭和29年(1954)江戸川乱歩賞が制定される。
江戸川乱歩は昭和9年(1934)に池袋に移り住み、この地で一生を終えた。その邸宅と書庫として使われていた「幻影城」と呼ばれる土蔵は平成13年(2001)に立教大学に寄贈された。

江戸川乱歩 卒業記念 大正5年 21歳

大正12年 前列左妻隆、父繁男、後列中央乱歩

「二銭銅貨」(「新青年」大正12年4月号)

昭和4年の乱歩とサイン

『江戸川乱歩全集』 広告 昭6 平凡社版


左『パノラマ島奇談』 江戸川乱歩著 昭21.9 鎌倉文庫
右『怪人二十面相』 江戸川乱歩著 昭22.6 光文社

江戸川乱歩と三島由紀夫

乱歩の書斎

「幻影城」と呼ばれる土蔵

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