今日は母校である仙台商業高等学校の学祭『仙商祭』に出演。
『仙商』という学校が好きで『仙商』を愛してやまない我々は自ら母校に足を運んだ。
『5分でも10分でもいいんです!ネタをやらせて下さい!恩返しになるかはわかりませんが、OBとして何かしたいんです!!』
しばらくすると、そんな我々の思いに母校は答えてくれた。
『学祭でネタをやって下さい。時間は1時間半ほど。』
バカかと思った。
単独ライブじゃねーんだから1時間半て…。
しかし、やるしかない。
だが、今の仙台商業は私達の通っていた頃とは全てが違う。
校舎も川内から泉へ移転。
ほとんどが就職だった卒業生も半数以上が進学へ。
パッと見悪そうな奴もいない。
知ってる先生もほとんどいない…。
正直、眠れなかった。
果たして先生方は、生徒達は我々OBを受け入れてくれるのだろうか?
我々の気持ちとは裏腹に、歓迎なんかされず、スベるのではないだろうか?
この選択は間違ってはいないのだろうか…?
体育館のドアを開けるとそんな不安はぶっ飛んだ。
大歓迎である。
考えても考えても一時間半も何をしゃべったらいいかわからず結局もうノープランで来てしまった。
ぎりぎりまで取材を受けたりでネタ合わせもしていない。
何とかなってくれ!!という気持ちで歓迎してくれる生徒達の間を歩き、舞台へ。
何をしゃべったかなんて覚えていない。
これ以上ないというくらいネタがウケた。
何だかんだで時計は終了時間を指していた。
生徒達にレイプまがいに肛門やキンタマをもみくちゃにされながら出入口へ向かう。
長い人間のトンネルを抜けると一人の先生が立っていた。
大分老けてはいたが、まだ残っている先生の中で唯一私の担任を受け持ったことのある千葉均(チバヒトシ)先生だった。
高一の初日に怒られ、喰らったビンタは数知れず。
23時過ぎまで居残りをさせられ、リーゼントパーマでバットを持って卒業写真を撮ろうとした私に
『いいか、この写真は一生残るんだぞ…』
と呆れ顔で言ったあの千葉均先生。
通称チバキン…。
14年ぶりの再開だ。
先生は手を上げたので
『やべぇ、殴られる!?』
と思った瞬間、チバキンは私を抱きしめた…。
かなり痩せたチバキンは楽屋で私に言った。
『当時、あの悪い生徒達と向き合うには貫禄が必要だった。だから体も大きい方がよかった。でも最近は貫禄って言葉を調べたら、=メタボなんだとさ!今の生徒には貫禄も必要ないし、だから痩せることにしたの。』
なんて話を聞いた。
あの『恐怖のチバキン』とこうして笑って話している。
何だか不思議なものだ。
そんなチバキンもあと三年で定年退職だという。
何とか元気に三年後を迎えてほしい。
我々が在籍したラグビー部が気になった。
今年新入部員は一名…。
活動はできていないという。
そんなラグビー部が我々に、とラグビーボールとジャージをプレゼントしてくれた。
黄色と黒の『タイガージャージ』と呼ばれるジャージは当時と変わらない。
弱小だった我々の頃は『蜂ジャージ』、『リゲインかっ!』などと言われたものだ。
花やサンドウィッチ、100周年記念時の時計まで頂き、何より皆が笑ってくれたのを見て、本当に来てよかったと思った。
この学校がなければサンドウィッチマンはいなかっただろう。
我々は仙台商業高等学校という学校が大好きだ。
愛している。
相方が帰る際、『仙台商業高等学校』と書かれたスリッパをそっと鞄に入れたのを見たが、愛している故に勘弁してやってほしい…。
