和人は、よく知人や女性から、
「護身術を教えて欲しい。」と言われることがあります。
そんな時和人は、
「生兵法は大怪我の元ですよ。」とよく言う。
相手を制したり倒したりするまでに「武術」を高めるには、相当修行しないと物にならないからなのです。
「護身術」をお題目に、会員を集め稽古をしている「格闘技団体」がありますが、マニュアル通り暴漢が襲ってくれるのでしょうか?
和人は、そんな武術を教えて、「こうすれば自分の身を守れますよ。」と言う無責任なことはとてもじゃないが言うことはできないと思っています。
まして自分は「武道」をやっているからと暴漢に向かって行った時、相手が凶器となる武器を持っていたり、自分より体力的に勝っていた時の対応は、長年空手をやっている和人でも相当な覚悟が必要と思っているからなのです。
「武術的な護身術を習う前に、もっと先に修行しなければならないことがありますよ。」と和人はいつも言っている。
「貴方は普段から、色々な事に気配りをしていますか?」
これは、「天地・左右・前後、事の起こりや人の動きに、いつも気を付けて目を向けていますか。」と言うことです。
武道界で内弟子に入った者が下働きをさせられますが、本来このようなことの修業的意味があるのです。
回りの状況を把握し、師範・師匠や先輩の動きを察し、常にその行動・気持ちの先を読むことを修行しているのです。
「貴方は、普段、携帯電話のメールを打ちながら歩いていませんか?」
そんなこと、無用心そのものなのです。
そんなことをしながら突然暴漢に襲われた時に、「護身術が使えれば。」などと言っているのは虫が良過ぎるとしか思えません。
そしてもうひとつ、
「護身術で一番効果がある身体運動は、<走る>ことです。」と言っております。
そう、
逃げるが勝ちなのです。
危ないと思ったら、あるいは襲われそうになったら、とにかくその場から逃げること。
暴漢などの卑劣な者から逃げても、「卑怯」と言うことはありません。
立派な選択です。
逃げるためにも、走力を鍛えていなくてはいけません。
何百メートルも逃げる必要はありません。
暴漢の手の届かなくなる範囲でいいのです。
でも、全力疾走しなくてはいけません。
そんな体力を常日頃から鍛えておく方が良い護身術になると言っています。
甲野善紀の驚異のカラダ革命