民主主義は数の論理である。
多数決をして多い方の意見が通る。
何とも分かりやすくて単純極まりないルールや。
僕が生まれて初めてこのルールでもって物事を決める現場に遭遇したのは、小学生のころやった。
少しでも多ければ、少ない側の意見は淘汰される。何とも乱暴な論理やなと子供ながらに思って、学校というか教室がしょうもなく思えるきっかけにもなった出来事やった。
話がずれた。
たかだか小学校の教室の決めごとに比べれば、国会も県議会も市議会も区議会も、決めるべき物事の質と量ははるかに多い。効率よく決めていくために、多数決というのは”一番ベター”な方法であることも理解している。
公式非公式含め多少は話し合いや根回し何かもしているけれど、最後は党議拘束やらなんやらで、頭数で決める。
新人もベテランも同じ人間で、一つの頭しか持っていないのに、政治家には何で力の差というものがあるんやろうか。
経験の差、知識の差…いろいろあるやろうけれど、その力を担保するものは”いかに多くの人に支持されるか”やろう。
支持する人は有権者のみに関わらず、党所属議員、党員、官僚などなど。
全て持つのは難しいし、かといってどれか一つだけでもあぶなっかしい。
有権者からの支持と所属政党からの支持は最低限欲しいやろう。
その両輪がしっかりとかみ合えば、官僚も熱意をもって同じ仕事に携われる、最強の政治家ができあがる。
小泉元総理は、信条や哲学は全く共感できないけれど、そういう政治家やと思った。
圧倒的な有権者の支持、小泉チルドレンなどといういわば最大派閥のような組織を作り、党内でも絶大の権力を誇った。官僚に対しては、あまりいい関係ではなかったかも知れないけれど、あれほど圧倒的な政治力が背後にあれば大丈夫やろう。
だけど、盛者必衰なのか、昨今そのかげりがついに露呈し始めた感がある。
このかげりが見える前は、これだけ小泉改革批判がなされていても、まだ立候補すれば当選するやろうし、まかり間違えればもう一度総理になることもあり得ると思っていたし、事実そういう話も出ていた。
そんな彼の力にかげりができたきっかけは、彼が息子を後継者に選んだときやと思う。
折しも二世議員、世襲議員が悪の元凶のように注目されていた時期やったから余計に目立った。自らもまた、古い自民党の体質を引き継いでいることを証明してしまった。
もう彼があれほどの有権者の支持を受けることはないやろうし、そうなれば党内からの支持もなくなるやろう。
小泉チルドレン83人は、今回の選挙で既に73人に減っている。どれだけ当選できるんやろうか。中には小泉改革を真っ向から批判している人もいる。
あるベテラン自民党議員は、最近の小泉元総理を「まるで評論家やな」と評したという。政治家として力を失って、何事もなし得られなくなって口だけになってしまったということやろう。
一つを失えば、もう片方も失って、ガタガタと崩れていく。
もう彼から以前のようなエネルギーはなくなってしまった。
今回の選挙で、有権者は誰に力を授けるんやろうか。

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