四川地震の震源地であるブンセンには、夜着いた。
町は完全に復旧していて、その辺の田舎の少し大きめな町と何ら変わらない。
そのままの足で、被害の大きな北川県へ向かおうと、ブンセンの北の茂県に移動。
既に夜になっていて景色は見えなかったけれど、道は同じような感じ。
とりあえずバスターミナル付近の宿をとり休んだ。
この町から北川は約90キロ。道は相当に悪いことが予想されるので、6時間ぐらいはかかるやろうかなどと想像していた。
翌朝、茂県のバスターミナルで北川へのバスの有無を調べた。
幸い案内板にも表示があるし、北川へも行けるとその辺のおっさんは言っている。
チケットを買おうとすると、妙に高い。いくら道が悪いといえども、たかだか90キロの移動にしては、高すぎた。
疑問に思い問いただしてみると、どうも茂県から北川へ直接抜ける道は封鎖されているらしい。そのため、一旦南下してぐるっと迂回する形でないと北川には行けないという。
茂県まで来てみたけれど、結局昨日いたブンセン→成都と移動し、そして北上して綿陽という町へ行くことになった。仕方がない。情報が少なく、結局近くへ行かないと集まらないんやから。
綿陽で1泊し、翌朝バスで北川へ向かった。
道はいい。60キロほどの道のりを2時間ほどで着いた。
途中に新北川という町もあったが、僕の目的地はそこではなく、もっと北のほう。バスの終点まで行った。
そこは鐳鼓鎮という小さな町やった。
新北川をすぎると、窓の外に少しずつ仮設住宅が広がってきた。
バスターミナルも、その前の通りのお店も全て仮設住宅やコンテナでできていた。
バスターミナルの通りから少し中に入ると、そこは崩れたままの建物が放置されている状態やった。↓

この町も、地震から1年半経ったとは思えない放置っぷり。
強度のない建物が今にも崩れてしまいそうな状態で放置されていて、非常に危険やと感じた。↓

少しの衝撃ですぐに倒れそうな状態の建物。↓

よくまぁ、こんなにスッカスカで建ってられるなと、逆に感心してしまいそうになる。↓

こんな危険な建物の周りで、既に彼らの日常生活は営まれている。↓
完全に通りに向かって傾いている建物。近くに寄ると分かるんやけれど、1階部分が完全にぺちゃんこになっている。↓

町で飯を食って、ちょっとネットをしている間に、僕の宿と町を結ぶ道路がこんな状態に。さっきまで普通やったのに。
早いのか遅いのか分からない作業。↓

四川地震のモニュメントにされる建物。こんな建物ばかりやから、人に聞くまでモニュメントとして敢えて残しているとは気付かなかった。
そして、今回ここを訪れて一番問題やと思ったのが、これ。↓

元住んでいた住人が家のがれきを整理していた。
何をしているのか聞いてみると、ここにもう一度家を建てる準備をしているという。
仮設は2年で出ていかされるようで、その際に政府からお金が出るわけでもない。なので、こうやって自分たちであと半年以内に家を建てないといけないという。
中国政府はこの町に何百億円というお金をかけて地震記念館を建設するらしい。
そのお金の数パーセントで、彼らの家なんてのは何軒でも建つやろう。仮設に住む人たちのあいだには、怒りを通り越して諦めムードが漂っていた。
僕は、地震発生のニュースは見ていたつもりではあるけれど、その後の情報はなかなか得られなかったし、まさかこれほど酷いなんてというレベルが日々更新されていくような感じやった。
五輪なんてやってる場合とちゃうんとちゃうん。
1年半もほったらかしにしておいて、”開催”と判断した神経を疑う。

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