「クラスターエッジ 第13話 カールスの遺したもの」
クラスターエッジ

今回の話にもカールスのことがこれでもかこれでもかと出てきます。序盤の流れから、この作品は人造兵の問題や戦争のグダグダに少年たちが巻き込まれていく様を描くものだと思っていたんですが違うようですね。完全にカールスに関わった人間それぞれがセカイ系ともいえる心理描写主体で展開している。アゲートが他のカールスに関わった人たちをつないでいる橋の役割を負っている感じがします。主人公に初めから引き立て役というか補助役をやらせている作品は初めて見ました。ある意味すごいよ・・・。カールスという一人の人間の生き方や意志を、カールスに関わった人間がそれぞれどのように昇華していくかというのが見所なんでしょうか。しかし、そう考えると、カールスに関わりのなかったベリルやフォンの存在の意味がなくなることに気づきました。いろいろ考えてみて、彼らの役割はこれからのストーリーの”動”の部分(混沌とした世界を実際に変えていこうとする行動)で、ストーリーの”静”の部分(人の人造兵にたいする考え方や、混沌とした世の中で生きる人々の葛藤の描写。要するに世界観の構築)はカールスに関わった人間が担当するということなのかもと思いました。そう考えれば、話の始点がカールスの死で始まったことに納得がいきます。今は後半の”動”の部分へ向けて土台作りをやっていると見ていいんでしょう。そのあとにベリルやロード、フォンのストーリーへの台頭が待っているんだと思います。それにしても1クール丸ごと使って世界観の構築をする必要はないだろうとも思う。新感覚回想アニメに陥らないことを祈っている今日この頃。いつまでも死んだ人間のことにこだわってんじゃないよ(漫画”シュート”の馬堀の名台詞)。
今回の話は修道女が同じ過ちを犯してしまう後味の悪い話でした。自分の願ったことや信念が、厳しい現実に捻じ曲げられてしまう儚さ。こういうのを見せられると、カールスのしたことが夢半ばであることが染み入って分かってきます。修道女が回想していたカールスの学生時代の活動の描写を踏まえて、世界はあれから何も変わっていないんだなと理解できる。演出上、これから活躍するであろうベリルたちの”引き”のエピソードなのかな。しっかし、修道女のアゲートに対する描写が空気のように薄いな。まるで怪我をしていた動物を拾って手当てしているように感じますし、アゲートに対して何か思うところの描写がないですね。何の関心も示していない。アゲート橋渡し役確定か? それとツッコミ所として、アゲートが修道女に微笑んだことが逆に彼女に過去の過ちを思い出させてしまって、さらに辛くさせているのは気のせいではないだろう。アゲートの100万ドルの微笑みは毎回残酷だな(笑)。
―終―

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