先日のblogで紹介した友人が亡くなって一週間。この間、最凶の掲示板「FUCK'N CANCER BBS」の呼びかけに応えて、彼女を直接知る方はもちろん、一度も会っていなくても深い交流があった方、ROMするだけだったけど気にかけていた方まで、追悼メッセージを送って下さったのは、なんと40名以上。いつもは一日150名程度だった訪問者も、一週間でのべ3500名をこえてびっくり。改めて、彼女はみんなに見守られていたんだと、嬉しくなりましたね。
集まったメッセージは、お葬式でご遺族に手渡すことができ、故人の胸にも抱かれ、いっしょに煙となって空へ。そんなようすも掲示板上でお伝えすることができたうえ、予想外にもご遺族からのお礼の書き込みもあり、まるでネットの上でお葬式がとり行われたようで、とてもあたたかいものが残った。
実はずっと以前から感じていたんだけど、乳ガン関係のサイトは数多く、掲示板を供えたところもたくさんあるものの、その管理者が亡くなった場合、けっこう悲惨な経過を辿る例が少なくないみたい。本人の書き込みが途絶えたまま誰も状況を把握できず、住人が右往左往していたり、善意で訃報を知らせた人がいたずらと誤解されて深く傷ついたり。なかにはエロサイトや民間療法の無差別書き込みに溢れているものまであった。
そして結局、多くの人が悲しみのやり場を失い、虚しさと喪失感ばかりを抱いてしまう。特にサイトがいつまでも残っている場合なんか、なおさらです。そもそも葬式というものは、みんなに死者がいなくなったことを納得させる場なわけだ。インターネットの場合でも、匿名ではあるけれど、人と人の広がりは大きいし、結びつきだって緩い訳ではありません。気にかけている人の死は、やっぱり共に悼みたいのです。
でも、実際にはこれが意外と難しい。何しろ本人が自分の死亡通知は出せない訳だから(すごくスキルがあれば、出来なくもないだろうけど)、誰か葬儀委員を決めておき、いざという時サイトの管理を任せる必要がある。これが遺族以外の場合は、勝手に不特定多数に通知しても良いのかという問題も出てくるし、へたするとメッセージも遺族に伝わらない。だから遺族との信頼関係は、絶対に必要。それでも本名や顔写真が載せられないのはもちろんだ。
今回の場合、自分の葬式ではないし、良い条件が重なって、たまたまうまくいったけど、さて、最凶自身を考えた場合、こんなにスムーズにコトが運ぶのかちょっと不安。考えてみれば、「自殺サイト」はあっても「葬式サイト」って無いよねー。自分でコントロールできる死以外は考えていないのかな。こんなとこにも、現代人の死についての考え方のいびつさが表れているような気がするんだけど。
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