117作目です。近代将棋 1959年01月号発表。「落花」原図は不要駒あり。近代将棋のこの図は近代将棋の「新煙詰大募集」の看板に載っていた図とのこと。将棋浪曼集第五十番
「落花」原図不要駒あり。近代将棋の「新煙詰大募集」時に北原義治氏案の修正図で発表。
*20手目39手目A72歩成、同と、93龍の手順前後あり。71手目Bで32と、11玉、22銀とする迂回手順あり。
95と、同成香、同馬、同玉、96香、同玉、87金、同金、86金、同金、同と、同玉、76龍、95玉、94金、同玉、93桂成、同玉、83歩成、同玉、74と右、92玉、83と、同玉、84と、同玉、74龍、93玉、85桂、82玉、83歩、91玉、92歩、同玉、94龍、81玉、82歩成、同玉、A93龍、71玉、72歩成、同と、同香成、同玉、73桂成、61玉、62歩、同成銀、同成桂、同玉、63桂成、51玉、52銀、同成銀、同成桂、同玉、53歩成、41玉、42銀、同成銀、同と、同玉、43歩成、31玉、32銀、同成銀、同と、同玉、33歩成、21玉、
B22銀、同と、同と、同玉、23歩成、同と、14桂、同成香、23龍、同玉、14と、同玉、
15歩、同玉、16歩、同玉、17歩、同玉、18歩、28玉、38金、18玉、19香、同馬、同飛、同玉、73角、18玉、28角成迄99手
この作品については、詰パラで早詰があるかのような誤りに記事を書いてしまい、関係者各位には大変ご迷惑をお掛けした。又、故黒川一郎氏の名誉を一時的に傷付けたことを改めて深くお詫びいたします。
ただこの作品については再度経緯を書いておきます。
門脇氏からの私信に詳しいので転載いたします。
{「落花」の修正図が棋誌に始めて掲載されたのは近代将棋昭和34年1月号の様で、同号の「新煙詰大募集」の看板に載っているのですが、同号には修正図とかそのいきさつには全く触れていないと思われます。
「将棋浪漫集」(昭和48年)の中で、解説の佐々木氏も原作〜修正図のことに全く触れておらず、黒川氏自身は「82香が飾り駒であるかと言うことは発表時には全く気にしていなかったが北原氏のアドバイスで修正したのが収録図である」と書き、発表原図は参考図として収録しています。
北原氏はこの修正の件は全く言及して居らず、「黒川氏との交際中、彼は突然盤面39枚の原図を示した。それは当然不完全で、その後検討〜修正のくり返しで落花は完成した」と書いています。従って北原氏は検討協力者であって、共同の作者ではありません。
黒川氏と北原氏は「浪漫集」発行の頃は冷戦(むしろ熱い戦い)状態でしたから黒川氏も北原氏の功績を意識的に見下して「北原氏のアドバイスで〜」という程度の表現にしたのかも知れませんが、「修正図」がズバリ「北原修正図」なのか、ちょっとした北原氏のアドバイスをヒントに黒川氏が修正図に纏めたのかははっきりしません。}
この私信の内容は詰将棋史的に大事な内容を含んでいますので、あえて転載いたしました。

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