まとまっているかどうかは別として、思いつくまま書いていきます。まずは叩き台ということで。
○他のアレやコレは批判しないのか?もっと問題あることだってあるだろう?
最近注目されている「水からの伝言」や「ゲーム脳」等の他にもニセ科学は多く、批判されてしかるべきものは確かに沢山あります。物量的に難しいというだけで、「他のアレやコレ」を批判しないという積極的な意図はないというのが現実です。
ニセ科学批判をする人は、自分の労力を注げるところや、得意な分野に力を注いでいるわけなので、「他のアレやコレ」が問題だと思う方は、是非自ら立ち上がって批判を始めて欲しいのです。あなたの力が必要なのです。
私は、最近のホメオパシーブームとか、健康ブームとかはかなりヤバイところまで進んでいると考えています。今のところこのブログではやっていませんが、もちろん他のところで批判をしています。
○ニセ科学ってオカルトも含むの?
信じてしまう根の部分は一緒であり、お互いに重なる部分もありますが、ニセ科学とオカルトは同じではありません。ニセ科学とは、科学のフリをしていながら科学ではないものです。量子力学だのなんだの科学の言葉を用いながらも、その実まったく科学的でないもの等をニセ科学と呼んでいます。
捏造問題で打ち切りになったあるある等は、科学っぽい説明をしていましたが、科学的には全くダメな内容でした。これもニセ科学だと言えます。
○科学にはまだわかっていないことだってあるよね?
もちろんあります。そして、遥かな未来においても科学で分からないことは存在すると考えられています。人間が全知全能にならない限り、わからないことは残ります。
ニセ科学批判では、まだ分かっていないことではなく、まだ分かっていない事をさも分かっているかのように説明することや、間違っているのが分かっているのに正しいフリをしていることを批判します。
科学者の仕事はまだわかっていないことを研究することですから、科学者が存在してニセ科学批判をしているということは、まだまだ分からない事があるということです。
○科学が万能だとでも思ってるんじゃないの?
まともな科学者であれば、科学が万能だなどと言う人はいないでしょう。いまのところ、様々な仮説の中から妥当な結論を選び出す方法として、最も信頼できる方法だと考えられています。
なるべく単純に表現するとすれば、科学は「証拠の確からしさ応じて信頼できるとする営み」です。科学の手続きが厳密で難しく感じるのは、人間が間違いやすいため「証拠の確からしさ」を調べるのが難しいということを反映しているだけです。
#人間の間違いやすさについては、認知心理学関係の書籍がお勧めです。
○やっぱり自分は傍観に徹したいんだけど注意点は?
批判されているニセ科学は本当に一部です。つまり、批判されていないからニセ科学じゃないということにはならないということです。
「何がニセ科学なのか」という視点ではなく、「なぜニセ科学と言えるのか」という「考え方」に注目することで、まだ批判されていないニセ科学を見極める力をつけるのが大切だと思います。
こういった「考え方」を身に着けると、ニセ科学の問題だけでなく、他の問題を解決する際にも役立つかもしれません。
#ニセ科学に関係なく「考え方」を体系的に知りたい方はクリティカル・シンキングというキーワードで勉強するといいかもしれません。ただビジネス書は避けた方がいいかも。
○ニセ科学ってそんなに問題なの?
問題です。確かにどう問題なのか?を説明するのは難しいところです。ただ、危機感をもってニセ科学問題に関わっている者の中では、ニセ科学問題も「さらに大きな問題」のひとつの表れでしかないという感覚があります。
「さらに大きな問題」は、非合理思考の問題と言えるかもしれません。ニセ科学を信じてしまうような「考え方」が問題なのです。私たちが危機感をもっているのは、きちんとした「考え方」ができない社会になってしまうことです。
みなさんは「魔女裁判」の歴史を知っているでしょうか。知っている方なら、あまりにも悲惨な歴史が実在したことに憤りを感じたことがあるかもしれません。非合理思考は現代に「魔女裁判」を復活させかねません。アメリカの「抑圧された記憶問題」をご存知でしょうか?私は、この問題を現代に復活した魔女裁判だと考えています。
そして、現代の魔女裁判を復活させたのは、ニセ科学を信じるような考え方と同じものです。
#『抑圧された記憶の神話』E.F.ロフタス/K.ケッチャム が良書

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