去年に続き今年もついぞ満開のサクラを見ることが出来なかった。たまたまこの二年、個展の時期が盛岡のサクラの時期に重なっていた。出向いた個展会場の地域でも満開のサクラが見れたなら良かったが去年の大阪、今年の日光、ともに葉サクラになっていて個展が終って一分の望みを持って盛岡に帰ってらやっぱり散ったあとという具合。
この例外の2年を抜き毎年実家近くの全国サクラ百景に選ばれている高松の池にお袋と兄のユウコウ夫婦と花見をするのが恒例になっている。今年は兄夫婦は参加せずお袋と二人ですっかり葉桜ではあるが仮想花見をする。サクラは終ったが小山の新緑の美しいこと。春だなぁ。
いろんな昔話をしているうちにお袋と父ちゃんの結婚についての話になった。いままでズーット見合い結婚だというのが家族の中で定説になっていたし、断片的な情報は知ってたので、見合い至るまでの経緯と、ではなぜ見合いで「この人でいい」と決断できたのかを誘導尋問した。
「もう、いいじゃ」「忘れた、忘れた」とテレながらもウレシそうにキャキャ笑いながら意外に誠実に恋愛昔話を教えてくれた。御歳88歳。結婚したのは世界大戦の真っ只中。じりじりと質問責めして、今まで知ってた情報と今日知った情報を複合してみると
お見合いじゃ無しに恋愛結婚だったコトが分かった。
お見合いまでに何度も二人きりで逢っててお見合いってどうゆうことや。話せば長くなるので割愛するけど、どうやら親父(僕が20歳の時に67歳で亡くなった)は母親に一目惚れして色んな策を練り、お袋が抵抗無く結婚に漕ぎつける気持ちになるよう偶然を装って一芝居したこともわかった。策士だなぁ親父。
親父26歳、お袋22歳。息子である僕はこの歳をとうに越している。この若い二人を想像するとほほえましい。「キミ達を応援したいぞこのオッサンは」と手を差し伸べたい。
結婚して3ヶ月で親父に召集令状が届きお袋の写真一枚懐に入れてインドネシア、フィリピンへ。「結婚しうれしくて盛り上がってる時だったでしょ?大変だったね。かなしかった?」と質問。ずっと照れ笑いばかりして話してたのにこの時だけは当時の心境を思い出したのか「悲しがったねぇ〜」と真顔の猿顔になる。本当に悲しかったのだと思う、そうだよなぁ・・・。
親父の乗っていた舟が爆破され木っ端を抱き三日三晩荒波のインド洋を漂う。ほとんどの戦友が亡くなる中、奇跡的に生還。睡魔との闘いだったと生前親父に聴いたことがある。
帰還後、水でボロボロになったお袋の写真を見せられたという。いつ死ぬか分からない状況で木っ端につかまりながら愛する女房の写真をみて生への執着を奮い立たせたのかもしれない。この時頑張って、この後も頑張ってくれたので僕が存在する。ありがたし在り難し有り難し。
なんか面白かったなぁ。親の恋愛話。照れていたくせにお袋も「あぁ〜おもしぇがった」(あぁ〜面白かった)と帰りしなの道でニコニコ顔で連呼。若い頃の恋心を思い出したのかもしれない。
(花見の定番、高松亭の味噌田楽とキリンレモン。今年の山椒味噌は例年よりあっさり味。山椒が少ないようなっと思ってお袋に聞いたらやっぱりお袋もそう思ったらしい。昔味というか例年味に戻ってほしい。)
(高松の池の新緑と巨大白鳥)

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