※素人小説です。
※ずっと以前から構想していた話ですが、どう転がすか決めかねていました。
[ 89 ]
ネルの心の内には、今、炎が滾っていた。その時は、間違いなく。
目の前で繰り広げられる、友人らの演奏、饗宴、彩られた会場の雰囲気……それだけではなく、幼アクとの出会いや、再会、和解、その直後の失恋などといった、この一日、この瞬間までの出来事。それら全てが、彼女の中の情熱を迸らせていた。
私だって――唇を噛んで、呟く。今まで努力してきた。沢山頑張って、時には涙を流して、二人で歩いてきた。ハクねーさんと一緒に。友人たちとさえ距離を置きながらも、たゆまぬ努力を続けてきたあの日々は、他の誰のものでもなく、自分たちだけが刻み付けてきた足跡なのだ。それを振り返った時、それこそが彼女たちの誇りとなり、自信となり、勇気となる。
アイドルになるなんて、ほんの少し前までは、本気で考えたことなんて一度もなかった。夜、ベッドの中で眠りに落ちるまでの間、目をつぶって空想していただけのこと――実に子供らしいと、自分でも笑ってしまう。けど、思い描くだけだったそれが、いつしか偶然を経て現実となって、こうして現状となっている。例えそれが下心からのことだったにしても、今の自分は本気で歌おうとしているし、このステージを成功させたいと願っている。負けたくない、という思いが、一層強くなってくるのを、ネルは自覚する。
今、ネルの中の炎は滾っていた。いたのだ。だが。
「え?」
その声が誰のものだったかは分からない。演奏はクライマックスに入り、歓声も最高潮。そんな中で、何故かその声だけが、いやにクリアにネルの耳に飛び込んできた。
ゆっくりと広がるざわめきの波紋が、歓声をかき消していく――同時に、あちこちから、多くの悲鳴が上がる―ーそして、そういった声も、よく聞こえなくなっていく。
雨だ。それも、突然の大雨。ゲリラ豪雨。
「嘘でしょ……」
ハクが大声を上げる。もしかしたら、自分も叫んでいたのかもしれない。先ほどまで演奏に熱中していた幼アクも、口を開けたまま立ちすくんでいた。
もっとひどいのは、まだ演奏の途中だったミクたちだった。状況が飲み込めないのか、ただ雨に打たれながら、雨をしのげる場所を探して惑う観衆を遠くに見つめているようだった。メテはその場に座り込んで、大粒の涙を流していた。サイもさすがに黙るばかり……。
後ろから走ってきたスタッフが、何事か声を上げていた。機材が濡れる、片付けろ、中に戻って。こんなに降るなんて予想外だ。こりゃチュウシにせざるを得ないぜ。
チュウシ。チュウシって何だ? その単語だけ、ネルには理解できなかった。ポッカリと辞書から抜け落ちた空白の欄。注視? 中止? 止める? そんな、だってまだ、私達の出番……肩に手を置かれ、我に帰る。肩越しに振り返ると、カイトの姿。
「二人とも、残念だけど、今日はもう無理だよ」
まるで腹を包丁で刺されたような、衝撃。追い討ちをかけるように、会場にアナウンスが響き渡る。会場にお越しの皆様、大変申し訳ありませんが、本日のイベントは豪雨により中止とさせていただきます――繰り返します。無味乾燥な声だと、ふいに思った。
「そんな……そんなのって、ないよ……」
涙は出てこなかった。さっき流しつくしてしまったからだ。失恋が想い出になるのには、まだ早すぎる。なのに、今すぐにも泣き出したいのに。
ステージから、ミクたちがのろのろと戻ってきた。全員、ぐっしょりと濡れて、冷たくなっていた。納得できないと言わんばかりに。
「……サイッテー」
ミクがぼそりと呟いた。それ以上、その場の誰も、言葉を発しなかった。
観客らは、急いで帰るものもいれば、テントの下にぎゅうぎゅうづめになっているか、いずれにせよ、もうイベントどころの話ではない。完全に失敗だ。何もかも。ネルは吐き捨てるように、そう思う。嫌んなっちゃう。
[ 続く ]

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